2011年12月27日火曜日

『帰国』

ウガンダに戻ってきた。日本滞在中は、いつもの飲み会に加え、京都、サバエ、東北、山に出かけ、色んな人に会い、お世話になった。出発3日前祖父が急逝し、思いがけず、また色んな人に会った。2011年が終わっていく。皆さま、よいお年をお迎えください。

2011年12月12日月曜日

サバエ


寒風吹きすさぶびわ湖、冠雪の比良山系を臨む。




サバエの浜。





冬空。



数えで百になるオバチャンは、想像してたよりずっと、元気やった。

2011年12月6日火曜日

巡り

一時帰国中は温泉とか観光地をめぐりたいものだが、実際めぐらなきゃなんないのは「病院」だったりする。今日も午前、午後と別々のお医者さんへ。日本でしか受診できなさそうなものになると、「医者に行くほどのことでもないかな?」と思える場合でも、つい、『今のうち』『念のため』となる。

長くかかりつけで見てもらっているところに顔を出すと、「で、今はどこいるんだっけ?」「アフリカです」てな会話が挨拶がわりだ。

去年若干しくじってしまった健康診断だが、さきほど知らせがあり、今年は一発OKとなむ。よかった。これで後顧の憂いなくウガンダへ帰れる。

2011年12月2日金曜日

極寒

日中の気温3度って…外出できんやろ、そんなん…

2011年12月1日木曜日

多勢は無勢

大勢いるということは、誰もいないということを意味する場合がある。

たとえば、選挙における『有権者』がそう。
TV局がいう『視聴者』も。
役人がいう『国民』も。

***** ***** *****
5コ下のエントリ、写真を少々追加。

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「有権者の声」とか、「有権者の意思」とか。あたかも一個人のような言及のされ方をするけれど、“有権者さん”って人は存在しない。実際は多様で(多様過ぎて)ひとまとめにすることなど不可能な‘集団’を意味する言葉なのだけれど、ひとまとめに出来ないことをいいことに、あたかも一枚岩の「声」とか「意思」を持つ「個人」かのように仕立てあげてしまう――政治家はこの架空の個人に自分の考えや意思を『代弁』させるわけだ。

2011年11月28日月曜日

覚悟

帰国時に最も覚悟を必要とする飲み会――それは家族飲み。

量の割にペースが速く、あっという間に酔いが回る。昔から食べるペースも速い。背景には、躊躇していたら好きなものを取られてしまうかもしれない危機感が(笑 食前に冷蔵庫を開け、みんなの前でおのおの飲みたいお酒を宣言しておく。後でケンカにならぬように自然とついた知恵(笑

2011年11月27日日曜日

逆ショック

何となく違和感(=軽い逆カルチャーショック)を覚えることが多く、あらためて考えてみて気付いたのだが、ボランティアの時を除き、仕事で帰国の間隔が1年あいたのは、よく考えたら初めてのことだ。

帰国初日に生ビールが美味過ぎて悶絶しかかったこととか、飲食店でついテーブルでお勘定しそうになったこと、夜道のひとり歩きに自然とこぶしを握りしめていたこと、など。些細なことだが、日本にずっといればどうってことないだろうことに、いちいち反応している自分がいる。

もっとも、1年もいなけりゃ(――特に今年は日本にとって大変な1年だったわけだし)物理的に変わっているものもある。たとえば、最寄駅の改札の位置が変わった。いつも階段の位置に合わせて乗る車輌を決めるのだが、もう2回ほど、つい間違えて以前の階段の方に合わせて乗ってしまった。今夜は終電に近い電車で帰ってきたのだが、渋谷駅の人の少なさに驚いた。不景気だからか?それとも、(節電で)京王線の遠い方の終電が早くなったからなのか??

ちなみに、ウガンダには生ビールサーバーが多分存在しない。正確には存在した時期もあったが、一度壊れて以来、復旧したという話を聞かない。飲食店の会計をテーブルで行うのは、海外ではむしろそっちがフツーではなかろうか。また、日没後の徒歩移動を禁じられているので、普段、夜道を歩くことがない。

2011年11月26日土曜日

五分間

健康診断は帰国時のお約束。胃カメラさえなければ、どうってことないのだけれど…

胃カメラは大嫌い。とても正気で受けることが出来ない。よって、麻酔で眠らせてくれるクリニックを利用しているのだが、それでも最初にノドに麻酔薬を溜めて我慢する5分間が苦痛でならない。

緊張してむせないように、リラックスリラックスと言い聞かせながら泪目で上を向いて待つ5分間。たいてい最後はむせてしまうのだけれど、今年は去年よりは長くガマンできたか。いち年で最も不快な5分間が終わった。

2011年11月24日木曜日

Home

東京の実家に帰ってきた。約1年ぶり。

今年はフライトも乗り継ぎも特に問題なく帰ってこれた。長旅なので、順調が一番だ。

2011年11月23日水曜日

オカン上陸







オカン、アフリカ初上陸。




(2011年11月30日 追記)


ライオンのあくび。



道の真ん中に寝そべるライオンなんて
激レアだ。

オカンの強運に恐れ入る。



カバの島。




一番手前のがイイ顔してるんだわ。






アフリカン・イーグルのつがい。
威風堂々。



いつもこの木のてっぺんにとまってて、置物みたい。



朝焼けのナイル。



Murchison Falls National Park


おかんカメラより。

 





自分ではなかなか撮らない、
いつものカンパラ。

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オカンは無事に滞在期間を終え、これから一緒に(一時)帰国します。ディレイせんといてや、エミレーツ…。

2011年11月13日日曜日

規格

産業の発展には規格化が欠かせない。しかし、規格化はヒューマンなものを排除していく。歯止めとなる思想がないと生き苦しくなっていくのは当然の帰結だ。

2011年11月12日土曜日

眉間にしわを寄せて話し合ってた会議中、ふと窓の外を見たら虹がかかっていた。うまくいきますように、色んなこと。

2011年11月11日金曜日

合掌

開発と緊急支援は、同じ「国際協力」のくくりの中でも、中味はだいぶ違う。違うけれど、従事する者のマインドは、やっぱりどこか似通っていると思う。トルコで緊急支援に従事していた方が亡くなった。覚悟より熱意が先に立つ世界だとは思うが、無念如何許りかと思う。ご冥福をお祈りしたい。

2011年11月10日木曜日

注射

今日は、昼休みにインフルエンザの予防接種を受けに行くことになっていた。と、なぜか朝からそわそわしてるウチの運転手アイバン君。なぜ私が受けるのに、君がそわそわするのかね(笑?

曰く、

「…こわい?」 → べつに。

「どっちに受けるの?」 → 左かな?

「僕は注射が苦手なんです」 → 知ってるよ(笑

「ホントにこわくない?」 → ぜんぜん!

終わると早速、

「痛かった?」→ そうでもないよ。

「どこに打ったの?」 → 左肩。

「…痛い?」 → だからそうでもないって!

仕事の帰り道でも、今日は左肩を下にして寝ちゃだめだよ、となむ。大袈裟だなあ。予防接種は海外に住むたびに打ちまくっているので、インフル1本ってのはかなり何でもない。今までの最多記録は3本+黄熱の同時接種で、その時はさすがに夜に熱が出た。

2011年11月8日火曜日

選択肢

今月からカタール航空が就航、となむ。ドーハまでノンストップで飛んでくれるのはいいんだが(※エミレーツはアジスにワンストップ)、なぜかドーハ⇔日本で関空ワンストップ。日によってエンテベ発着時間が違い、短い日はドーハ乗り継ぎが僅か2時間。機内はそれなりに良いというけれど…とりあえず評判とディレイ発生頻度を見てからだと思い、今回もエミレーツを使う。

しかしオプションが増えたのはいいことだ。

2011年11月6日日曜日

時間感覚

昨年末の一時帰国が、いつまでたってもつい最近のことのように感じられて違和感があったのだが。10月がやたらと長かったせいか、気付いたら記憶が過去に吸い寄せられていて、今年も残り2ヶ月でようやく現実と感覚の帳尻が合ってきたみたいだ。

今月23日から一時帰国します。

2011年11月5日土曜日

やー

つ か れ た!

交渉&アポ取り&仕事飯が1ヶ月間毎日つづいて、今日、最終日。最後までハラハラしどおしだったが、何とか今日という日が終わってくれた。この仕事の面白味も醍醐味も苦渋も憤りも、ゼンブ詰まった濃い1ヶ月間だったと思う。その分のプレッシャーやストレスもいっちょまえに味わって。

だけど、現地で必要とされていることに携われている実感。これは正直言って、新しい。いつもそうありたいと願いながら、そんなうまいこと仕事が巡ってくることなんてそうそうないのが現実だから、そこは感謝したい。おやすみなさい。

2011年11月4日金曜日

ロース

いつもショルダーで作ってる煮豚を、ロースで作ってみたらめちゃめちゃやらかいの。1時間煮た塊もぷるんぷるんだった。

2011年11月1日火曜日

神無月



へとへとになって出てきた駐車場で

見上げた空





長い一ヶ月だった…今月を「長月」にしたいくらいだ。

月のはじめの方の出来事が何カ月も前のことのように感じる。



2011年10月24日月曜日

交換

愛車・緑のRAV4は現在総走行距離5万5千キロほど。最近ブレーキの効きが甘くなっている気がしたので、自動車整備士の資格をもつウチの運転手・アイバン君にチェックしてもらった。

結果、前輪のブレーキパッドと「ドライブシャフトブーツ」なる部品を交換することに。「ドライブシャフトブーツ」は予定外だったが、パッカリ折れて(外れて?)たので、アイバン君の判断で交換したという。その判断自体はもちろんOKなのだが、一体この部品はそんなに簡単に折れてしまっていいものなのだろうかね??

アイバン君は涼しい顔で「折れるだけなら問題ありません。この状態で浸水すると危ないけどね」なんて言ってたけれど…折れていい部品なんてあるのか(笑 ?いずれにせよ、事故を起こす前に気付けてよかった。

2011年10月23日日曜日

不眠

夕食後にコーヒーがぶ飲みしたら、全然眠くならない…アホか。でも飲みたくなったんだもん、仕方がない…帰国時に買いたいものをせっせと通販サイトでチェック。アドレナリンが出て、余計目がさえる(笑

2011年10月22日土曜日

袋麺

お土産でいただくインスタント麺に、最近異変が起きている気がする。たぶんちょっと高級品なのだろうと思うが、『麺は麺でゆでて、スープはスープで作ってください』との説明書きが増えた。ノンフライ麺とか乾燥麺とか言うらしいが――要はうどんやそばの乾麵と同じ理屈なのかな?

袋麺の時は、いつもたいてい野菜なりを先に茹でて、そこに麺と卵を投入するのだが、もうかれこれ4,5回は、この『麺は麺で』の麺を誤って野菜の中に投下してしまった。これまでの人生、インスタント麺といえばそれでよかったのだから、袋を開けてから投入するまで、つい迷いなく手が動いてしまうのだ。

2011年10月19日水曜日

監督は髪の毛ないんだけど、毛1本(1毛)の差でAクラス入りなんだとか。今年はずっと最下位だったから、諦めなかったことが凄い。祝・ライオンズCS進出☆

2011年10月17日月曜日

つみすぎ



ザ・過積載。




中味は炭だな。
カンパラへ売りに行くのだろうか。



2011年10月10日月曜日

夜型

学生の頃のクセで、時間に制限がないと、つい夜型になる。この3連休は連日出勤しているが、オフィスに出るのは午後4時とか5時――周囲から好奇の視線を浴びるけれど、仕方がない。夜の方が集中できるんだもん。

日曜の今日は、昼間にスカッシュを1時間半ほどしてからシャワーを浴び、このままビール飲んで寝たい…という思いをグッとこらえて午後5時に出社。気ままな時間に働けるのも一種の贅沢と思えば、仕事してるとはいえ休日気分は満喫してるかな。

ちなみに、学生の頃は午前中に起きたことがほとんどなかった。規則正しい生活なのは、キャンプの時だけ。院生の頃は午後3時起床、午後5時出社、午前6時に知恩寺の鐘の音を聞いたらそろそろ帰ろうかななんて思って、カドの松屋で朝定食を食べてから帰宅する毎日だった。研究室には私のほかにも、いわゆる『夜組』がいたので、むちゃくちゃな生活習慣を特に気にすることもなかった。おかげでいまだに、遅刻して必修単位を落とす夢をみるけれど(笑

49

Googleのトップがウガンダの独立記念日を祝う画になっている。日本版ではなく、ドットコムの方でご覧あれ。

昨日の代表選は34年ぶりのアフリカ・ネーションズ・カップ本大会出場がかかっていたため、朝から街中でブブセラが鳴っていた。しかし残念ながら、結果は紙一重での予選敗退…49回目の独立記念日の今日は、朝から静まり返っている。

報道によると、選手だけでなく、観客もわんわん泣いていたそうだ。怒ったり暴れたりすることなく、そんなリアクションであるところが、いかにもウガンダらしい。穏やかな人たちだ。

来年は独立50周年。普段は意識することが少ないけれど、あらためて、まだ若いんだな、この国は――と思う。節目の記念日はどうなるのだろうか。正直ちょっとおっかないので、国外で過ごすことも選択肢のひとつかと思う。


出典:2011年10月9日のGoogleトップ

赤・黄・黒のしましまとカンムリヅル(crested crane)で
ウガンダの国旗だ。

2011年10月8日土曜日

祭り

今週の日曜日は独立記念日。その前日の、明日土曜日はアフリカ・ネーションズ・カップ進出をかけたサッカーの代表選がある。今宵は名だたる有名アーティストがあちこちでコンサートを開いて前夜祭だ。自宅にも街の賑やかな音が響いている。しかし正直なところ、お祭りムードになればなるほど、どうか…無事に週末が過ぎますように。と思ってしまう。

2011年10月6日木曜日

停電

ここのところ、街は24時間ごとに24時間の停電なんだそうだ。要するに、1日おきにしか電気がこないということ。自宅アパートでも停電すると数秒間暗くなるので、停電が多いことには気づいていたが、それほど頻繁かつ長時間にわたっているとは知らなかった。アパートでは24時間、いつでもジェネレーターが回るから。市井の生活をまったく実感していない自分に、危うさと一片の罪悪感を感じる。

2011年10月5日水曜日

繁忙期

昨年は8月がピークだったが、どうやら今年は5月と10月のようだ。ともかく外回りが多過ぎる。デスクワーク用にパーマンのコピーがほしい。

2011年9月30日金曜日

マダムチェア

フィリピンでは女性の敬称といえば「マム」だったけど、ここでは「マダム」が一般的のよう。最初の頃は、「Yes,マダム」と言われると、セレブでもないのに変なの…と違和感ありありだった(笑

ここ最近、規模は小さいが外部の人との定例会議で進行役を務めている。通常こうした進行役は「チェアマン」とか、ちょっとジェンダー・センシティブに「チェアパーソン」、「チェア」とか呼ばれる。もっとも、私の場合は単なる“進行役”であって、“議長”と呼ばれるほどのリーダーシップは発動していない――と、常々思っていたものだから。

ある日の会議で突然「マダム・チェア!」と呼ばれた時は、思わずギョッとしてしまった(笑 自分がそんな大そうな呼ばれ方をされるとは、思ってもみなかったのだ。しかも、なぜかそのうろたえぶりを反射的に隠そうとした自分が可笑しかった。

2011年9月28日水曜日

『わるいやつら』

確かめたいことがあるから、松本清張2冊目。上下2巻本だが、出張前の週末にサクッと読めた。

元々、サスペンス(というより、ジャンルを問わず小説全般)をそれほど読むわけでもなく、松本清張も名前といくつかの代表作の題名を知っている程度なのだが、どうやら繰り返し映画化、ドラマ化されている有名な作品のよう。

主人公は、高名な医者の跡取り院長先生、絵に描いたようなザ・放蕩息子。最初の死亡事件(実は殺人事件)を除き、2人目以降さしたる心の葛藤もなく次々と殺人を「思いつく」ことに、こんな調子じゃ30過ぎまで犯罪と無縁でいられたことが説明つかなくなると思った。もっとも、心の葛藤――この主人公の場合、それは人を殺めることに対する罪悪感ではなく、犯罪が発覚することへの怖れだけれど――は殺人を犯したあとには必ず襲ってきて、やがて尻尾をつかまれる原因ともなる。一度そうしたイヤな恐怖を味わっているのに、なお、軽々しく次の殺人を思いつくのは、ウソを隠そうとしてウソを重ねる心理なのかな。ウソと殺人は違うけれど。

最近のTVドラマ化では、『黒革の手帳』『けものみち』につづく三部作の最後として本作が選ばれたのだそうな。前の二作と同じ女優を主演にするために、あえて主人公を看護婦(かつ主人公の情婦)にしたということだが、あの女優には是非、プレイボーイの主人公を手玉に取り、最終的に財産まで掠めとってしまうデザイナーの役を演じてほしかった。主役とするには、原作の中での描写が少な過ぎるということかもしれないが、本当の「わるいやつ」は彼女を置いて他にいないと思うな。主人公やほかの取り巻き情婦たちにも、それぞれに「わるい」ところがあるわけだが、どちらかというと頭の軽さと呆れるほどの性欲の方が目を引くわけで。

さて、確かめたかったことの、今のところの結論だが、やはり意図的に早い段階で犯人を明示しているようである。もっとも本作の場合、最初の死者を誰が殺したのかについてだけは最後段まではっきりせず、最後の最後に、どうやら主人公が情婦に一杯喰わされ濡れ衣を着せられていたらしいことが分かる。前後して、あの人からもこの人からも、騙していたつもりが騙されていたことが次々と明らかになり、こうまで見事に主人公のトホホっぷりを描けるところが「松本清張」なのかな、なんて思ってみたり。

2011年9月26日月曜日

コゲとバジル

ご飯を焦がしてしまった。不覚。ちょうど炊き上がった頃に来客があり、自分では火を切ったつもりがどうやらつまみを反対方向にひねったらしい。10分後、もうもうと立ち上がる煙を見るまで気付かなかった。

底はもちろん真っ黒コゲだったが、それ以外は見た目5分の1ほどがうっすら茶色くなっている程度。全部で2.5合くらいあると思われ、捨てるのは憚られた。さて、では、この焦げくさいうっすら茶色のご飯をどうするか。

焦げ味をごまかすため、ともかく味付け濃い目のおかずをご飯にのっけて食べていたが、カツ丼に添えたバジルが意外にいい働きをすることを発見。完全にコゲの苦みをやっつけてくれた。

イタダケナイ

すすめられて手にとった『銀行告発』という小説が、全編にわたり作者の自己満足が透けて見える内容で辟易した。この本、ホントに宣伝文句に書いてあるとおり売れたんだろうか?

出だしからイタダケナイ感じが漂う。見開きに作者の紹介が写真つきで載っているのだが、その写真と、主人公は自らをモデルにしているらしいことが頭に残っている間に、冒頭、いきなりベッドシーンである。好みは色々であろうが、私はあのオッサンの濡れ場など文字面で読み流すだけでも気持ち悪くなった。見開きに顔写真を載せないか、あるいは冒頭を書き直すかの、どちらかにすべきであった。さらに、主人公がバツイチ・ダンディー男という設定になっていて、益々イヤな予感が募る。この主人公は、作者「自身」なのか、それとも「そうなりたい自分」なのか――どちらにしてもイタダケナイので、知りたいとも思わないが。

この本がホントに宣伝文句どおり売れたんだとしたら、元銀行員が銀行のイタダケナサを曝露しまくったストーリーが受けたのだろう。しかし、イタダケナサに直面するたび、憤るか泣くかしかしない主人公の感情描写の浅さったらない。ナルシストであろう作者の筆致から、主人公が“水戸黄門状態”であることは読み始めてすぐに分かってしまう。どんなに敵が切りつけてきても刀の方が避けてってしまう、あの感じね。だから、最後の大団円なんか、作者(=主人公)が『オレハヤッタゾ』と自画自賛しながらひとり悦に入って感慨に浸っているのが見苦しくさえあり、正気か?恥ずかしくないのか?と読んでいてドン引きだった。

大組織の底意地の悪さと闘うという構図は、ここ最近読んだ中では、『下町ロケット』『沈まぬ太陽』との共通点と言っていいと思うが、読後感が違い過ぎる。それは、丹念な描写の有無であり、そこにあらわれる作者の謙虚さではないかと思う。自己満足型の作家には、そのような主人公しか描けないのかもしれない。

表記

ソマリアのイスラム過激派で、2010年7月のウガンダの爆弾テロを起こしたとも言われている『アル・シャバーブ』だが、なぜか日本の大手A新聞は『シャバブ』って表記するんだよなあ…WikiやBBCやCNNで見る限り、どこもそんな表記はしていないのに。何にこだわってるのか?まさか国際的に広く認知されている通称を知らないということはないと思うのだが。

2011年9月24日土曜日

はじめてのナイロビ

ケニアのナイロビで会議があり、出張してきた。アフリカの危険都市ビッグ3と言えば、ナイロビ、ヨハネス、ラゴスだが、これでナイロビとラゴスの2冠達成だ。雰囲気はラゴスの方が殺気立っていたかなあ。ナイロビが乾燥して涼しいせいもあるかもしれない。大都市なのに爽やかな雰囲気すら漂う街だった。

会議は同時通訳(英語、仏語)付きだった。英語圏と仏語圏にほぼ二分されるアフリカではさほど珍しいことでもないのだろうが、何せ初めだったもので、ヘッドホンを耳に当てるたび、何だか無性にワクワクした。

カンパラに帰ってくると、のんびりした田舎に来たみたいな安堵感(笑

2011年9月18日日曜日

サーフィン




雨季の「風物詩」



街のど真ん中でサーフィン気分を味わえる。
慣れてないとスリル満点だ。








タイヤ半分浸かってますよ~!!



…だから四駆なのだ。












2011年9月15日木曜日

冷夏

どうも今年は寒い気がする。そりゃ今までも寒い日はあったけど、フリースとヒートテックの両方がいる日なんてほとんどなかった。それがここ2ヶ月ほどは、両方着たうえに長袖・長ズボン・靴下をはかないと、明け方に寒くて目が覚めてしまう。地球温暖化時代の赤道直下がこれでいいのか?ってくらい寒い。

2011年9月14日水曜日

『下町ロケット』

またやってしまった…月曜から夜ふかし読書…アホだわ。

====(引用開始)=====
「誰に向かっていってんだ」
田村は眼底に怒りを揺らめかせた。
「田村さんに対してに決まってるじゃないですか」
====(引用終了)=====

身につまされる思いをしながら、つい吹き出してしまった。こんなこと仕事の場で言っちゃうおバカさんは、小説の中まで探したって私だけだと思ってたんだけど(笑 「誰に向かって――」なんて言い方は、だいたい、自分の方がエライと思っていながら議論で劣勢に立たされた「残念」な輩が負け惜しみで口にする言葉だ。「誰って、今、目の間にいるあなたに決まってるじゃないですか。何でそんな分かりきったこと聞くんです?」と言えば、相手の“残念な感じ”を決定づけることになる。もちろん、それがいいかどうかは別の話ゆえ、さすがに後から多少の反省はしたものだが。浴びせられた侮辱の言葉もひとかたならずひどかったので、その場は『おあいこ』ということでおさまったのだった。

勧善懲悪かつハッピーエンドな結末を予感させる展開が、つい先を読ませるだろう。ストーリーの建てつけは面白くとも、社会派というほどではない。気楽に読む本だ。いいところで主人公を助けてくれる元妻が、最後の場面に登場してもよかったかな。

2011年9月12日月曜日

11

9.11
3.11
ウガンダは7.11も。

やりきれない幾多の無念とともに。

山水



水と緑が豊かなウガンダ。



写真だけ見ると日本かとさえ思ってしまう。








滝のウラ側。











葉脈くっきり。




Sipi Falls & Mt. Elgon NP



2011年9月9日金曜日

続・エスカレーター

昼休み、ご飯を食べにショッピングモールへ。いつものようにエスカレーターで1階にのぼっいてくと、降り口付近におばあちゃんがこっちを向いて立ちふさがっていた。よく見たら、足を出したり引っこめたりしているので、思わず(あぶない…!)と目をつむりそうになった。大声で「マダーム!下りはこっちですよー!!」て隣を指さしておしえると、「あ、そっか」と言わんばかりの照れ笑いを浮かべて、無事下りのエスカレーターに乗ってくれたのだった。

夕方、エスカレーターが苦手なうちの運転手アイバン君にその話をしたら、「だってウガンダで、エスカレーターはあそこしかないもん。みんな乗り方が分からないんだと思うよ」となむ。以前は隣のショッピングモールにもあったそうだが、あまり誰も使わず、そのうちに壊れてしまったのだそうだ。みんなが慣れるまで、上り・下りの看板でも置いた方がいいと思うな。

2011年9月7日水曜日

『点と線』

月曜の夜11時――ちらっと見るだけ、と思って本を開いたのが間違いで、結局日付が変わるまで夜更かしして読み切ってしまった。週の初めから何してるのやら。

松本清張は初めてだったが、なるほど面白かった。

裏表紙によると、これが出世作だったらしい。読み終えてから1957年連載の作品と確認し、色んなことが納得できた。なぜなら、現代目線で見ると、犯人は最初の10数ページで見当がつくし、トリックも「電車じゃなければ飛行機か船なんじゃないの…?」と思ってたら本当に飛行機だったし。引っ張るだけ引っ張ってこのオチかよ――?と突っ込みたくもなったが、1957年なのだ。まだ東海道新幹線さえ開業する前のこと。飛行機などとても庶民の乗り物とはいえず、読者にとって予想外の移動手段たり得たのだろう。

犯人の目星がかなり初期の段階でついてしまうのは、あえて犯人を明示したうえで攻防を描く古畑警部補のような手法をめざしたのか、あるいは当時の読者にはこれでも十分最後まで謎として提示できたのか。もうちょっと作者の他の作品も読んでみないと判断できない。

犯人はその時代に飛行機を乗り回すほどの金持ちなので、何も自ら手を汚さなくても良かったのではという気がしたし、被害者男性の愛人については結局誰だか分からずじまいだった(一方、被害者女性が犯人の愛人であることは状況から予想の範囲内)。いくら国内線でも乗り継ぎ1時間ってのは短過ぎないか?と思ってみたり。突っ込みどころはそれなりにあるものの、客観的な証拠を積み重ねて追い詰めていくスタイルは、やはり文句なしに面白い。1950年代という時代の描写も含めて、半ば推理小説、半ば時代小説として楽しめた。

2011年9月6日火曜日

あざらし

帰りがけ、雨脚が強まった。運転手のアイバン君をそのまま返すのも悪い気がして、モンベルのカッパを貸してあげた。少し丈が足りないが、何もないよりはましであろう。最後にフードをかぶせたら「あ、あざらし…」「マダム、あざらしッて何…?」(そうだった、海ないんだった。)

カッパのフードは、誰が着ても、もじもじクンのように面白おかしい見てくれになってしまうものだけれど。そういえばアイバン君、結構小顔だからな。

2011年9月4日日曜日

きっかけ

友人からの差し入れ三冊目、『風林火山』をようやく読み終えた。

以下、課題の感想文(笑

ここのところ小説はひと晩一冊だったのだが、珍しく2週間ほどかかった。文字の量ではない。題材が武田信玄(主人公は山本勘助)だったのと、作者が井上靖だったせいだろう。歴史小説というより文学作品だった。

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さて、その武田信玄。戦国の武将の中で、一番最初に名前を覚えた人物だった。いや、正確には、日本史に出てくるあらゆる歴史上の人物の中で、はじめて覚えた人物だった。小学生の頃、歴史といえば、昭和の前が大正で、大正の前が明治で、その前が時代劇に出てくるチャンバラの江戸時代――そのもっと前は“かみさまの時代”だったと、根拠はないが本気で思っていた。だから、江戸時代の前に『戦国時代』なる時代があると知った時は、衝撃だった。そのきっかけが、1988年の大河ドラマ中井貴一の『武田信玄』だった。

まあ大河ドラマ自体は、若かりし頃の中井貴一が無理して低い声だそうとしているのが子ども心に「変なの」と思ったり、上杉謙信も無理してキザを装い全然カッコ良くないなと思ったり、晴信の嫁にいつも影のように付き纏う侍女のオバハンこわっ!と思ったり。大人になってから、歴代大河ドラマの中でも高視聴率だったらしいことを知ったが、確かに子ども目線でも楽しめる一大エンターテイメントだった。

しかし最初は、作り話だと思っていた。たまたま当時うちへ来てもらっていたベビーシッターのおばちゃんが熱心な大河ファンだったのだが、毎週土曜、家へ帰るとその時間帯だけは決まってわが家の三人姉弟をTVの前に集め、晴信タイムだったのだ。それである時、おばちゃんがあんまり熱心な様子なので、思わず聞いてしまったのだ――「どうせ作り話なんでしょ?」(イヤなガキ!)。そしたら、おばちゃんは作り話ではないと言う。本当に昔あったことだと。そんなはずはない、江戸より前はかみさまの時代だもん――と反論したかどうかは覚えていないが、少なくとも密かにうろたえたのは確かだった。

以来、学校の図書館の歴史の本とか伝記の本を片っ端から読んだ。おねだりをして少年少女日本の歴史を少しずつ買い揃えていった(今でもわが家に全巻ある。引っ越しの時処分する話があったが、私が反対した)。中学受験のために塾を探した際、いかにも弱小そうな駅裏の雑居ビルのとこがいいと親に訴えたのも、本棚に全巻揃った歴史マンガを見てのことだった(笑 大河ドラマも、しばらくは家族で欠かさず見るようになった。6年生の夏休み自由研究が『太平記』だったのは、今思うとさすがに渋すぎたと思うが、結局大学に至るまでこの歴史好きは治らず、おかげであまり就職に役に立たないとは薄々気付きながらも修士までおさめてしまったわけだ。

そういうわけで、武田信玄は、好きな武将かと言われるとそうでもないが、格別の思いがある響きなのだ。
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こんな調子なので、読み進めながら、ストーリーとは全く関係のないところで昔の記憶をたどったり、ネットに転がってる動画を見てみたり、史実はどうだったっけとウィキペディアをのぞいてみたりで、文学作品を味わうのが次第に億劫になってくる始末だった。それにしても、何で山本勘助だったのかな?川中島で討死してしまうので、何となく、いくら由布姫病死という区切りがあったとはいえ、話の終わり方が唐突であるのは否めない。主人公の心の動きはさすがに丁寧に描かれていると思ったが、由布姫への感情がどう見ても『父親の気分』以上のものがあって若干気味悪く、文字面では追えるものの真に迫るものがなかった。

消える靴下

どうも最近、洗濯に出てる靴下の数が減ってる気がしていた。かといって、引き出しは空。どこに行ってしまったのかと思ってたら、昨日の夜、蚊帳をベッドにはさんだすき間から大量に出てきた(笑――あ、そうか!

それ見るまでまったく無意識で気付かなかったが、ここんところあまりに寒いので、室内でも靴下をはきっぱなしなのだ。そのままベッドに入り、毛布をかぶってから靴下を脱いでるんだな。よって、毎晩一足ずつ、謎の失踪を遂げていたわけだ。くだらないことだが、急に謎が解けて感心してしまった。ここ数日は、ヒートテックにフリースを羽織らなきゃならないほど、朝晩の気温が下がっている。

2011年9月3日土曜日

レア

また首相が変わったんだねー!と、皮肉ではなかろうが随分と珍しがられる。四半世紀以上ずっと同じ大統領ってのも結構珍しいけどね。それにしても、今回ほど「誰だっけ?」て思っちゃう人だらけの内閣ってのも、ちょっと記憶にない。

2011年8月31日水曜日

お月さまに聞け

朝、通勤の道がやたらとすいていたので、「あ、今日になったのね」と気付いた。イスラムの断食月がおわり、今日はイードのお休みだった。昨日から巷では『明日がイードではないか』と噂されていたが、本当にイードかどうかは、イスラムの長老が新月を確認するまで確定できないのだそうだ。よって、休日のアナウンスは前日の夜も遅くなってからになるのが常だし、雲で月が見えない場合はイードも翌日以降に順延になるのだとか。

ウガンダでは、キリスト教とイスラム教、両方の祭日が休日だ。

2011年8月29日月曜日

悪天候

せっかくの週末だが、カンパラは雨季でも珍しい終日の雨だ。一度職場に出たが、強めの雨がコンスタントに降り続くのを見て道路が寸断されるのも時間の問題と思い、少し早めに切り上げてきた。

ニュースをつけて、作業の続きを。猛烈な風雨があるとリポーターが積極的に外に出るのは、世界共通の習性らしい。今時無人のお天気カメラなんていくらでもあるし、視る側には大した需要もないのにわざわざ危険を冒して風に吹かれにいく所業が、どうもプロのすることとは思えない。この場合の動機というのは、『強い風が吹くと、それがどれくらい強いのか試してみたい』という子どものような無邪気な好奇心なのか、それとも『こんな大変な状況でも頑張ってるアタシ』の自己顕示欲なのか――興味があるとすれば、その一点だけかな。

2011年8月28日日曜日

苦手

週末、運転手のアイバン君とショッピング。普段はひとりで買いに行くが、荷物が多い時と、洗車グッズを買う時だけは、一緒に来てもらうことにしている。

ショッピングモールの地下に駐車して1Fのスーパーへ、エスカレーターであがる。アイバン君は①必ず私を先に行かせる、②ベルトを両手でしっかりと握り、③乗ったらいつもよろける。どうやらエスカレーターが苦手らしい。「この四角い枠内にのるんだよ」と教えても、いつも片足のどちらかが半分くらいしかのらない。ありゃ飛びのる瞬間に躊躇してるんだな。口では「平気だもん」と言うけどね(笑

2011年8月27日土曜日

小腹がすいた

色んな人の話を総合すると、『一時帰国で食べたいものランキング』の上位はもちろん刺身や寿司なのだが、その次くらいにラーメンがくる。私もそうかな。いただきものの袋麺に、買ってきたネギ、自作のチャーシュー(煮豚)、大事にストックしてある海苔なんかをのっけて食べたりもするが、ラーメン屋さんのラーメンにはおよばない。スープがね。日本でしか食べられないのだ。

下宿近くにあった『東京ラーメン』は、今も健在なのだろうか。

2011年8月26日金曜日

カメラ

最近、GRD3の出番がめっきり減っていたのだが、この間、撮りためた写真から数枚選び出す作業をしてみたら、意外とGRD3で撮ったのがイケている。と気付いた。ノルウェーはカヤックがあったためサブは防水機だったが、次の旅にはGRD3とGXRかな。

腕は一向に上がらなくてもそれなりの写真が撮れてしまう魔法のカメラ。オモチャ程度にしか使いこなせてない気はするが、単純に楽しい。

2011年8月25日木曜日

休暇明け

今週は緊張する場面がつづく。途端に眠れなくなるが、いつものことだから仕方ない。それにしても、ここんとこ停電が多いな。

2011年8月21日日曜日

山の小説

客人から小説の差入れ。そういえば、学生の頃から頼みもしないのに時たま小説を回してもらい、感想文の報告は半ば義務化されていた(笑  あ、でも今回は頼んで持って来てもらったのだった。4冊も有難う。感謝。

では、恒例の勝手な感想を。

最初の2冊は山の小説。『八甲田山死の彷徨』と『凍』である。どちらも極寒の山行きという共通点があるが、準備不足が悲劇を招いた前者と、一流のクライマーが持てるものすべてを総動員してぎりぎり生還できた後者とでは、内容も読後感も対照的だった。

学生の頃、必要に迫られてアウトドアを覚えた。最初はそんなこと予期もしていなかったため、文字通り半ば義務感に駆られながらであったが、いつしかすっかり楽しくなってしまい、自らのめり込んでいった。何がそんなに楽しかったのか?――多分、何もかもが案外理詰めである点が、理屈っぽい自分の性格に合っていたのだろうと思う。アウトドア、というとワイルドでどこか力任せな響きがあるかもしれないが、実際はひとつひとつの所作や道具に理由があり、合理的な世界だった。同時に、合理的でありながら、時としてその努力をあっさり無意味なものにしてしまう自然と対峙する怖さ、面白さ。たまにめぐり合う、ごほうびのような瞬間――そのあたりが、魅力の核心ではないかと思う。
従い、『八甲田山――』の方は、読んでいて途中から腹立たしくなってきた。もとより軍事演習なのだから楽しむのが目的ではない山行きであるが、だったらなおさら、準備不足は許されない。追いつめられると、何かと言えば「そこは精神力で何とか」――と臆面もなく言えてしまうのは、今も昔も日本人の悪い癖だと思う。この場合、精神力が出てきた時点で、問題直視を放棄したも同然だ。高度のリスク管理のプロであるべき軍隊が、と思うとなおさら痛い。

『凍』も、読んでいて決して楽しい本ではないと思った。素人が頭の中で想像するにはあまりに怖い場面が続くからだ。正直、もう一度読み返してみたいとは思わない。ただ、桁違いにエクストリームとはいえ、実在の主人公夫妻のクライミングに対する思いというのは、どこか分かる気がするから不思議だ。そんな気がするような書き方になっている、ともいえるだろうか。もっとも、実在と知って、ネット上で動画なんかも見てみのだが、つくづく、これだけ極限状態の話でありながら、最も印象に残ったのは夫妻のナイスカップルぶりだった。もしかしたらパートナーは死んでしまったかもしれない、と思いながらも、ほぼ同時に、じゃあどこで(死体を置いてくために)ロープを切ろう?と考えられる夫婦――二人して徹底して問題から目を逸らさない。それも淡々と。一緒にいてお互い余計なことを考えないでいい居心地の良さがあるんじゃないかなと想像された。
  
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『凍』に描かれた、クライマーのクライミングに対する執拗なまでの情念を読んでいて、ふと、先日ノルウェーで出会った冒険家の彼女を思い出した。女史は、シェラーグの絶壁を指さし、30代のうちにフリークライミングで登ってみたいのよね、と言っていた。「まさか」――と半ばあきれる私に、ほら、あの谷(…素人にはただの断崖絶壁にしか見えない)、あそこがシェラーグ登攀の最も簡単なルートよ、とこともなげに言っていた。

そういえば、あの日、カヤックは勿論楽しかったが、嬉しかったことといえば、私が防水カメラを用意したことと、温かい飲み物を携帯用魔法瓶で持参したことを、女史がさかんに褒めてくれたことだった。客商売なのだからリップサービスならいくらでも言えようものを、あえて合理的な工夫を取り上げてくれたところに心つかまれたのだと思う。

2011年8月20日土曜日

アンボセリNP




ゾウの喧嘩、ジャブが入った感じ。







ライオンの食事。




何気ないふりをよそおって、ハイエナが待っている。
ライオンを恐れ、決して目を合わさない。




ライオンが立ちあがった瞬間、猛然とおこぼれに群がるハイエナ。

『ハイエナのよう』というたとえは、
“これ以上ないくらい情けない”って意味だな。





草原に無数のシマウマ。脚を広げて飲むキリン。





朝焼けをうけ ゾウの行進。








キリマンジャロが見えるサファリ




Amboseli NP, Kenya







2011年8月19日金曜日

マサエ・ミーツ・マサイ



マサイ族の村を訪れた。





名乗るたびに大ウケである。

マサじゃない!だってば!!




背後に見える家は、牛のフンとエレファント・グラスで出来ている。

遊牧民の彼ら、家をつくるのは女性の仕事なんだそうだ。

Amboseli NP, Kenya







初めてアフリカの地を訪れた2005年、ナイジェリアでも何度か"Are you from Kenya?"と聞かれた。んなわけなかろーが(笑!

ちなみに、フィリピンでは、"Do you know how to massage?"と返されるのが常だった。現地語タガログ語に混じるスペイン語で、マッサージのことを「masahe(マサーヘ)」と言うんだそうで。ならば先手を、ということで、自己紹介ではよく、"Paarang masahe, pero walang 'h' (masaheみたいだけど、「h」は要らないよ)"なんてゆってました。

ウガンダでは、苗字を名前だと思われることが多く、私のことを姓で呼び捨てにするウガンダ人が多いです(笑 

2011年8月18日木曜日

有朋自遠方来







またたのしからずや

Bujagali falls, Jinja, Uganda




2011年8月10日水曜日

UK暴動に思う

ロンドンで始まった暴動が全国に飛び火しているそうだ。実際どのくらいの規模の暴動なのか、全体像がよく見えないが、暴動が拡大するモメンタムって相当な力なんだろうと思う。

不謹慎を承知で書くが、それだけの力が働いていながら、これまでに死者1名で済んでいるのが新鮮な驚きだ。途上国ならとっくに数百人単位で亡くなっていることだろう。その差は一体何なのか、率直に疑問に思う。

2011年8月8日月曜日

リセボーテン



リーセフィヨルドの最奥にある小さな村、
午後11時の夕暮。



住民は二桁に満たないそうだが、このロケーションで夏は賑わう。
手前右は今回宿泊したYH。






海辺で贅沢な定点観測。



















ここで食べようと大事に取っておいた、
いただきものの あんみつ と。






ノルウェー旅行編これにて終了。


・・あ、そうだ。忘れてた!



お約束の♪

2011年8月7日日曜日

シェラーグ (3)



正直、アノ岩――『シェラーグボルテン』は
シェラーグという山のオマケなんだと思う。

こんな景色見せられちゃ・・・



シェラーグボルテンのすぐ脇から。



でも、気になる。
私は乗らない!と心に決めていたが、気になった。





その岩に乗っかるためには、
手前の岩と断崖の間の、わずかな隙間をすり抜けていく。





そりゃへっぴり腰にもなるさ。




やっぱりどうしても気になって仕方ないので、私も挑戦することに。
立つことすらできなかったけど、一応、ちゃんと乗れたもんね。




気が済んだところで、下山開始。
ごほうびなのか、帰りは素晴らしい見晴らしだった。












行きに、横殴りの風雨を受けた三つ目の尾根。
晴れると劇的な眺めだ。





いくら眺めても見飽きなかった。





<シェラーグ>
2011年7月24日
9:30 YH発 タクシーで登山口へ
9:55 パーキング発
10:15 休憩1回目
10:55 休憩2回目
11:40 写真休憩
(三つ目の尾根急登で散々な目にあう)
13:00 シェラーグボルテン着
13:50 シェラーグボルテン発
17:00 パーキング着、徒歩でリセボーテンへ
18:50 YH着 


リセボーテンに戻ってくると
さすがにホッとした。

2011年8月6日土曜日

シェラーグ(2)



横殴りの雨と風は、三つ目の尾根を登りきったらピタリとやんだ。
この日は結局、それから雨も風もなかった。




ゆるやかなドテッ腹をぶらぶら歩いていく。





足元を見ると、岩に風紋が刻まれていた。





ライトグリーンの苔。
明るくなってきて初めて気がついた。





薄日が差すと、世界が急にカラフルになって目を見張る。





赤い字でTとあるのが道しるべ。
Tに着いたら、次のTを探す。その繰り返し。



目的のアノ岩まで、あとすこし。




2011年8月5日金曜日

シェラーグ (1)



会議で顔なじみのノルウェー人に声をかけられた。
――「シェラーグに行ったんだって?」





そこは、ノルウェー人が『一生に一度は立ってみたい』と思うがあるところ。
海面からだとマメつぶ以下だが、上の写真で中心より小指1本分左に挟まってる岩)





GXR P-10望遠寄り300㎜でいっぱいまでズーム。
ちょうど誰か乗ってるとこだったみたい(笑






落ちたら1,000メートル下のフィヨルドへ真っ逆さまなのに
みんな乗りたがるんだな、これが。



登山口のパーキングまで送ってもらったので高低差は400メートルないくらいだが、
往復6時間の行程。気合を入れて登り始めた。



最初の尾根を越すと、羊の鈴の音が響き渡っていた。

尾根が3つ――最初の2つは真っすぐ登って、真っすぐ降りる。
3つ目は急登のあと、広いドテッ腹を巻いていく。





2コ目の登り。山は、ともかく岩だ。





高度を上げていくと、はるか眼下にリセボーテンの村が・・・





見えなくなった(涙!!!





この後、3つ目の尾根をよじ登っている時に急に風が強くなり、横殴りの雨と風に襲われた。岩に張り付いた状態でおさまるのを待ちながら、「もう登り始めちゃってるし、後退(下り)よりは前進(登り)の方が安全」と判断。風の切れ目に必死に登ったのでした。怖かった~!