2010年12月24日金曜日

警戒

カンパラに戻ってきた。日本ではたくさん「お帰り」と言ってもらえて有り難かった。その直後に、今度は遠く離れたアフリカ大陸のど真ん中で「Welcome back!」と言ってもらえるというのも、何だか奇妙な感じがするが、有り難や。

街はクリスマスを前に、正直ちょっと『殺気立っている』感じがする。ナイロビのバスターミナルで爆発事件が起きたり(バスはカンパラ行きだった)、7月の爆弾テロの「容疑者」が再逮捕(一度釈放されていた)されたり。きな臭いニュースだ。

空港もショッピングモールもセキュリティ警戒度が上がっており、ただでさえ人出の多いこの時期に、各施設の出入口付近はどこも長蛇の列だ。帰国前に一度冷蔵庫を空にしていたので、今朝はやむなく買い出しに出かけたが、できればああいった身動きの取れない列には極力加わりたくないもの。セキュリティチェックが厳しくなっているせいで、大きなリスク(←身動きが取れない状態が長く続くという)が生じているのは何とも皮肉というか、本末転倒もいいところだ。

今日はクリスマス明けまでの食料を確保。来週、今度は年末年始を乗り切るための準備をし、年が明けたらいよいよ選挙期間を乗り切るための準備が始まる。『籠城』と『脱出』の両方に備えるのは未体験ゾーンになるが、淡々と準備したい。

2010年12月20日月曜日

郵送小包

よく考えたら、出国時に別途郵便で送る荷物を自分で出したことがない。いつも時間切れになり親の好意に甘えてしまうのだが、今回は間に合いそうだ。

アフリカは目ん玉飛び出るぐらいの値段がして辟易するけれど…アジアは日本食入手可能なんだからちょっと高めに設定して、その分アフリカの値段を抑えてくれたらいいのに、などと勝手なことを考える。需要もなければ距離も遠いのだから諦めるしかないけれど。

箱の中身は、いつもより食料が多め。本も、今度こそは趣味中心に。開封する時、それはそれは楽しみに開けるわけだが(←何を詰めたか、たいていは覚えていないものです)、出てくるのが仕事関係の書籍ばかりだと、やっぱりシュン…となるわけで(笑 今回は意識してテンション上がりそうなものを詰めました。See you in Kampala.

2010年12月18日土曜日

めっけ!!



カメラレンズフィルター、光量を8分の1にするND8。

40.5㎜というのがなかなかなくて。




でも赤道直下の直射日光には必需品なのです。
素人の腕でもないと困るくらいに外はまぶしい。

今日、これを手に入れるために山手線を一周しました。




通販でとっくに注文済みだったのに、延ばし延ばしにされ結局出国に間に合わないと判明。新宿、有楽町、秋葉原の主だった所が全部ダメで、最後、池袋でようやく在庫残りの1点をゲットした。今日も思わず「あった…!」と声に出す。

2010年12月17日金曜日

めっけ



洋雑誌のバックナンバーって、思いの外手に入りにくい。
見つけた瞬間、思わず声に出して「あった…!」と。






帰国直前の頃、色んなところで話題になっていた。
ネット上のサマリーを見た時から、是非とも読まなくてはと思っていた。



何軒かまわったが、さすが、洋書の品ぞろえは新宿の端の方にある本屋に限りますな。ちゃんとまだ平積みにされていた。帰任の機上でゆっくり目を通しますかね。

2010年12月16日木曜日

休暇消化

増量のため仕事着を新調。祖父のところへも顔を出し、これで離日前にやらなきゃいけないことはほぼ片付いた。欲を言えばもう2,3あるのだが、最初から全部は厳しいだろうと思っていた。こんなものだろう。

あとはお土産買うくらいかな。運転手のアイバン君にはチーカマを山ほど。以前、客人のお土産をおすそ分けしたらエラク気に入った様子だったのでね。安上がりですまぬ。

2010年12月6日月曜日


印象に残った蒼。



トンネルの向こうに、セビーリャの大聖堂。














窓の向こうに塔、映り込む空。




















白い街並み、迷路のような狭い道。@ネルハ








いよっ!ガウディ!!




2010年12月5日日曜日



幾何学的な景色のせいだろうか、
意識したわけではなかったが、あとから見てみたら駅の写真が多かった。





��ロンドン、パディントン駅








@ セビーリャ、サン・フスタ駅








@ バルセロナ、地下鉄ウルキナオナ駅










@ バルセロナ、地下鉄カタルーニャ駅






歩きながら撮るのでいまいち水平でないけれど。

2010年12月4日土曜日

36時間

エンテベ→ドバイ→成田、24時間。
エンテベ→ドバイ→バンコク→成田、36時間。

1コ乗り継ぎが増えるだけで、時間も、体力も、テンションも!急に消耗度がアップ。最初の便のディレイが響き、まるでバックパッカーのような帰国になってしまったが、無事日本に一時帰国中だ。


成田からの帰り道にて、話題の「木」発見。

観光客のようにシャッターを切る。

2010年11月24日水曜日

運送屋

『志村運送』にはまっている。すでに終了したシリーズのようだが、志村けんのコント集。たまたまネットで見かけ、今やすっかり気に入ってしまった。(普段は難しいが、ネット回線がすいている時間帯なら、かろうじて動画を見ることができる)

誰かのもとで働く場合も、あるいは、誰かを雇って自分が経営する場合でも、こういう会社(集団)が理想なんじゃないかと思う。勿論もうちょっと緊張感と競争が必要だとは思うけど、コントだからね。

動画に付いたコメントを見ると、同様の意見が散見される。現実が息(生き)苦しいからこそのコメントと見たが、どうなんだろう。
翻って、むしり取るような経営は、いつか必ず息が詰まる。被雇用者だけじゃない、雇用の側もだ。ただ、息の根止められる前にスタコラサッサ~とできるのは被雇用者だけだけどね。

2010年11月23日火曜日

光度

やけに夜空が明るいと思ったら、今宵は満月だった。南中高度がほぼ真上ゆえ視界に入らず、月だと分かるまで少し間があった。東京の空は暗くならない。月がこんなに明るいと知ったのは結構最近だ。

2010年11月19日金曜日

移動

1週間で5フライト、プラス800キロドライブの日程で無事スペイン休暇からカンパラへ戻ってきた。こんなこと書くと休んでばかりと思われてしまいそうだが、ゆえあって今月末から3週間ほど日本に帰国する。まあ、今はそういう巡り合わせなんだと思って。

ブログを見返すと旅日記ばかりのようで、見てくれる人に誤解を与えかねない。反省。少し言い訳すると、これはこれで、ここでの生活にすっかり馴染んでいる証左でもあるのだが…日常のささいなことすべてが新鮮な状態から、すべてが当たり前と感じるように変化すると、旅行した時くらいしか書かなくなってくる。前のブログもそうだったかな。軌道修正したいのに筆が進まない感じ。特に今は、仕事のことは書かないというか、書けないので。

2010年11月12日金曜日

元祖



えー!スペインにもあるんだあ~!!
…と本気で3,4日思ってた。





こっちが元祖だっつーの。
(フィリピンのは華僑資本に買収された)




たった50年間植民地支配を行ったアメリカにすっかり染め上げられたためつい見落としがちだが、フィリピンは元々スペイン植民地だった。400年もの間。タガログ語にスペイン語が入りこんでいることは知っていたが、今までどれとは特に意識したことがなかった。強いて言えば数字くらいだろうか。

スペインに行って、スペイン語なんて全く分からないはずなのに急に単語が聞き取れ、何が起きたのか一瞬分からなくなる現象が度々起きた。メッサ(テーブル)、バッソ(グラス)、シエンプレ(タガログでは「もちろん」の意)、ぺロ(でも)、グアポ(ハンサム)/グアパ(美人)、ヴェルデ(緑)、曜日、月、方角――ぱっと思い出せるのはこんなとこ。

それと、人に指摘されたのだが、タガログ語の丁寧語にあたる“Po”って、スペイン語の「プリーズ」にあたる“Por favor(プレファボール)”が起源なんじゃないかと。スペイン人に対しお願い口調で話すうちにだんだん縮まって「ポ」になっちゃった、か…あり得なくもないと思ったが、どうだろう。

2010年11月11日木曜日

スペインなう。



2日間で800キロドライブ、
アンダルシア満喫コース。




白い家とほうき雲
@ ヨーロッパバルコニー、ネルハ



バルセロナで入ったレストランにて。厨房が全員フィリピン人だった。

1人(ババエ)はマニラ出身、あと2人(ララキ)はルソン北部のビガン出身だった。フィリピン以外ではゼッタイに役に立たないと思っていた片言のタガログ語が、思いの外色んなところでコミュニケーションツールになっている。ザンジバルで、スペインで、歌舞伎町で――(笑

2010年11月4日木曜日

愛車



愛車は懐かしい形のRAV4。





運転手のアイバン君。

ちょっと~!君のクルマじゃないのよ!!




12年落ち(走行距離5万キロ)のRAV4は、緑のずんぐりむっくりなデザイン。日本じゃもうなかなか見かけないかもしれないが、カンパラでは我がもの顔でで走れる。アイバン君が毎日念入りに手入れをしてくれるおかげで、埃っぽい街を走っているにもかかわらず、愛車はいつもピカピカだ。

ある日、ほんの軽い気持ちで「今度アイバン君の写真撮ってあげるね~」と言ったら、次の日早速気合を入れてシャツを選んできたらしい。朝、職場の駐車場からさっさとオフィスに行こうとした私を引きとめ「マダム、フォトぷりーず」となむ(笑 

2010年10月25日月曜日

コント

ミートソースを作ろうと思ってトマトペーストの缶を開けた瞬間、視界が真っ赤になった。一瞬何があったか分からなくて、気付けば顔から服から真っ赤っか。コントでもこうはきれいにかからないよ。鼻の穴にも入って、ヒリヒリする。鼻かんだら鼻血のようにトマトペーストが出てきた…(爆

ケニヤ産の缶詰だから気圧は変わらないはず(――か、少し向こうのが標高高いくらい)なのだが。鏡に映して写真でも撮っとけばよかったかな。

悲しい出来事があった一週間だった。神様が「ちょっと笑かしたろ」とでも思ったのだろうか。

2010年10月19日火曜日

渋滞事情

今日の渋滞は凄かった。流れていれば15分とかからない道のりが、何と2時間半!こんな時は、やっと動き出した車列の中に、動けないクルマが出てくる。多分、ガス欠だろう。立往生のクルマを5台は見た。

もともと、カンパラは“渋滞体質”の街だ。帰宅時間帯は、何もなくても同じ道のりが小1時間といったところ。

道も交差点もせまくて、モータリゼーションに追っついていない(…まあ、私もそのクルマを増やしている1人だけど)。信号は市内に13か所しかなく(←うち9か所が日本の援助)、信号のない交差点は交通警官が手で整理している。このポリがまたクセモノで、ほとんどの場合、渋滞の先頭には彼らがいる――つまり、渋滞を解消するどころか、発生源であることが多い。

そして不思議なことに、雨が降ると渋滞になる。これが夕方の帰宅時間帯に重なると、今日のような超ド級の渋滞が発生する。今日は珍しく午後の間じゅうずっとシトシト降っていたから、累乗的に渋滞の度合いもひどくなったのだろう。狭い道をガス欠の車が立往生して塞ぎ、さらに渋滞は延びていく…


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ちなみに、ガソリン代は本当に高い。内陸国の悲哀で、遠くケニアのモンバサ港からトラック輸送するため、そのコストが値段に乗り、何とリッター150~180円ほどだ。日本の高い時と同じくらいとはいえ、両国の1人当たり名目GDPは80倍ほど違う(購買力ベースでも30倍)から、満タンにすることは金銭的に無理というわけだ。

たとえ満タンにできるだけのお金があっても、駐車中に抜き取られ、盗まれてしまう可能性が高い。よって、みんなちょっとしか入れないのよね。

2010年10月18日月曜日

誤差

体重計を買った。乗ってみたら、赴任時より3キロも増えている…がっくり[emoji:e-30][emoji:e-30][emoji:e-30] と思ったら。説明書がぺラッと1枚出てきて、『この体重計の誤差は±1.2キロです』となむ。でかいな(笑!

アナログなんだけど、このくらいの誤差がフツーなのだろうか?ここは「実際は1.8キロしか増えてない」ととるか、「激増4.2キロ」ととるか、難しいところだけど――実は、持って来たスーツのパンツなどがきつくなり始めている。ってことは、『誤差』じゃなすまないくらいの増量なんだよな…4.2か…とほほ。

カネなし、クルマなしだった頃は、単純に体力を使ったし、一人で任地に放り出され、そこで職場になじんだり、庶民にまじって生活したりする上でのストレスもあったから、あっと言う間に体重が落ちたものだ。

ここは(魚を除き)食材豊富で、首都だからそこそこレストランもあるし、今は好きなものを食べるだけの財布もあるし、何といってもクルマ生活、オフィス仕事…そりゃ増量するよなあ。プール行ってもビール飲むしなあ。

2010年10月17日日曜日

歴史ざっくり (3)

ちょっと書いて放り出していたシリーズ、突然気が向き復活。
11世紀から15世紀――と言っても、ほとんど伝承上の話です。
(伝承部分を青字にしたら、真っ青になっちゃった…)

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<Batembuzi(バテンブジ?)とBacwezi(バクウェジ?)>

Kinyoro他いくつかの口承伝承によれば、Bunyoro-Kitaraを最初に支配したのがBatembuzi朝だった。口承伝承では、Batembuzi朝の支配は1100年から1350年頃だったことになっており、実際Ntusiの遺跡からは中央集権的な社会が存在したことを示す物が色々と見つかっている。

Batembuzi朝の起源は伝説や神話でしか残っておらずはっきりとは分かっていないが、口承伝承には10から22の王様が登場することから、数世代にわたって統治を行ったことはほぼ間違いない。王朝の創始者はRuhanga王と言って、『地下の王』だったという――Kinyoroの文化の「地下」は、キリスト教でいう天国のような位置づけである。Batembuzi朝の王たちは皆超自然的な力を持つと考えられた。Batembuziの身体的特徴に関する説明からすると、もとは現在のスーダンやエチオピアの辺りにいたのではないかと思われる。いずれにせよ、彼らはBunyoro-Kitaraのバンツー語圏文化に、習俗、言語ともに同化していくことになった。

Batembuzi朝の最後の支配者とされるのがIsuza王である。Isuza王は『地下の世界』の姫と恋に落ち、姫を追いかけて『地下の世界』まで行ったものの、帰り道が分からなくなってしまったと言われている。数年後、Isuza王の息子IsimbwaがBunyoro-Kitaraを訪ねた。Isuza王なき後、Bunyoro-Kitaraは嫌われ者のBukuku王に支配されていたが、Isimbwaはその王のひとり娘を身ごもらせてしまった。やがてIsimbwaと一人娘の子Ndahuraが生まれたが、かわいそうに、嫌われ者のBukuku王の命令で赤ん坊は生後すぐに川へ投げ入れられてしまう。Bukuku王は、占い師たちが「王の娘の子には気をつけよ」と言ったのを真に受け、娘の子は誰であろうと殺すつもりだったのだ。ところが、赤ん坊は無事だった。へその緒が木に引っ掛かり、通りかかった王家の使用人に保護されたのだった。Ndahuraはそのまま使用人の手で育てられ、やがて成人するとBukuku王をやっつけ自らが王であると宣言した。Ndahuraは祖父のIsuza王によく似ており、人々はこぞって彼を支持した。

こうしてNdahuraBacwezi朝を開いた。Bacwezi朝も、おそらくエチオピアかスーダンの辺りからの移住者だった(NdahuraIsuzaが似ていたという話とも符合するか?)。Ndahura王は伝説上の架空の人物ではなく、ほぼ間違いなく歴史上実在した人物だったと考えられており、14世紀後半に権力の座にあったとされる。Ndahura王は超自然的な力を持っただけでなく、ウガンダの地にアンコレ牛とコーヒー栽培をもたらしたとして、今もその功績を称えられている。

Bacwezi朝時代の中心はMubendeおよびNtusi地域だったと考えられる。考古学上の証拠、特にBigo bya MugenyiおよびMunsaの大規模な建造物跡がその根拠だ。見つかった遺跡から、Bacwezi朝は現在のウガンダの大部分――ナイル川の南と西――を支配していたと考えられている。伝承上は、王朝の支配領域はさらに大きかったことになっており、Ndahuraはケニヤ西部、タンザニア北部、ルワンダなどの周辺地域を次々に軍事征服していったと言われている。

Ndahuraはタンザニア北部での戦いで敵に捕らわれてしまう。何とか脱走することは出来たものの、再び王位につくことを拒み、息子のWamalaに王位を譲った。その後、NdahuraはFort Portalの辺りで姿を消した。首都のMubende Hillは第一夫人Nakayimaに譲られた。Nakayima夫人は、後に植民地時代の頃まで残ることになる世襲の女家長制度を築いた。息子Wamalaは2度遷都し、最終的にBigo bya Mugenyiに落ち着いた。


Bacwezi朝の支配はわずか2代しか続かなかったにもかかわらず、今日においても絶大な影響を及ぼしている。それはたとえば、ほとんどの王家がBacwezi朝の直系あるいは傍系の子孫であると主張していることからも分かる。伝承上では、Wamala王は、父Ndahuraと同様に、ただ「消えた」とあるのみである。死んだのではなく「消えた」だけなので、『Bacweziは不滅である』との主張が今もってなされる。実際のところは、15世紀末頃になりLuo族がBunyoro-Kitara地域に進出し王朝滅亡につながったと言われている。真相がどうであれひとつ確かなことは、Bacwezi朝は今日に至るまで土着信仰の崇拝の対象となってきたということで、Mubende Hillの『Nakayima夫人の樹』やNtusi近郊のBigo bya Mugenyuはその典型例である。

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Isuza王と息子のIsimbwaの話は、親子2代にわたっているが、どことなく『浦島太郎』に似ていていないだろうか。『地下の国』が天国相当、というのも面白い。われわれの場合、竜宮城は海底だったが、あれはどことなくサンゴ礁にヒントを得たんじゃないかと思える。これが「地底」となると、やはり「黄泉の国」とか「地獄」のイメージこそあれ「楽園」のイメージは湧いてこない。

ちなみに、部族の「王様」というのは、今でもちゃんと存在している。時にその存在感を発揮し過ぎて政治問題になることもあるくらい、厳然たる影響力を保っている。たとえば、何かインフラをこしらえる時に、登記上は誰の土地でもない所が、実は「王家」の土地で補償問題でもめる、とかね。その起源は15世紀にまで遡るのね。勉強になった。
それにしても長いな…帰国までに全部訳し終わる自信なし!だ。

2010年10月15日金曜日

サファリ第2弾



乗馬サファリ@レイク・ムブロ国立公園


影だけ見ると優雅かな?2度ほど振り落とされそうになったけど…



ここはシマウマが見られる唯一の国立公園。





スタンダードな車サファリも。



アンコレ牛は角が勇ましい。
群だと一層壮観ね。



他に見た動物:
イノシシ、アンテロープ、エランド、ウォーターバック、バブーン、イーグル、青い鳥、紫の鳥、カバ、ワニの背中。

案外色々といるのだが、サファリ慣れしてくると「大物が見られない」「シマウマしかいない」なんて評価になってしまう。大物とはゾウ、キリン、ライオンなどのこと。確かにそうなんだけど、おかげでこの国立公園は人もそれほど多くなく、いい感じにこじんまりとしている。宿も、部屋から動物が見えたり、湖と草原の壮大な景色が見えたり。

森林浴ついでに動物も見られる、くらいに思って行けばお得な感じになれるのではないかと思う。


朝目覚めたら、目の前の景色がコレ
@ Sunrise Cottage, Mihingo Lodge, Lake Mburo

2010年10月8日金曜日

ご長寿

月曜の朝、運転手のアイバン君のおばあさんが亡くなった。聞けば88歳だったそうで、ご長寿だなあと思ったら、数年前亡くなったおじいさんは90歳まで健在だったそうだ。

かつてアフリカで初めて訪れた国ナイジェリアでもそうだったが、100歳とか、120歳とか。もちろん、そんなに沢山いるわけではないし、ちゃんと歳を数えているのか怪しいところもあるが――それでも、いるのだ。

アフリカには統計から漏れている人がいくらでもいる。乳幼児死亡率が高いため平均寿命は低く抑えられているが、もしかしたら――という気がしてしまう。本当の『ご長寿世界一』はサブ・サハラ・アフリカにいるのかもしれない、って。

ちなみに、ウガンダの平均寿命は52歳だそうだ。思ってたよりはだいぶ高いかな。エイズが比較的少なくて(7%ほど)、大規模な殺戮を伴う紛争からも遠ざかっており、気候もいい。そんなところだろうか。

アイバン君には火曜から今日までお休みをあげた。お葬式が続くなら(ここでもやはり1週間くらいするよう)もっと長く休んでもいいよ、とは言ったが、仕事があるから、と明日戻ってくる。…もう運転中に泣かないでね…

2010年10月7日木曜日

ノルウェー

ノルウェー大使館を訪れる機会があった。『ご自由にお取り下さい』の紹介冊子に色んなデータが載っていて思わず見入ってしまった。お堅いデータ(人口とか経済とか)が中心だが、中には日本ならまず載せないようなデータもあって面白い。たとえば、犯罪の種別割合とか、肥満人口割合とか。国の紹介なのにネガティブ情報もさらっとのっけている。

平均寿命や離婚率の隣に、2008年に命名された名前(first name)ベスト10。センスを感じる。

(男子)
1. Lukas
2. Mathias
3. Markus
4. Emil
5. Kristian

(女子)
1. Linnea
2. Emma
3. Sara
4. Thea
5. Nora

ヨーロッパの大使館が素敵だと感じてしまうのは、単なるミーハーだろうか――ノルウェー、デンマーク、フランス、EU。庭とか内装とか、コーヒーカップとかポットとか。何でもないことに、つい目が行く。何か独特の雰囲気があるんだよなあ。

2010年10月2日土曜日

ソーリー

仕事で接するウガンダ人のことしか分からないが、普段使いで「ソーリー」と言う。遅れてすみません、話が長くなって恐縮です、そんなつもりじゃなかったけどゴメンなさい、てな具合に。

日本人は“謝るのが好きな人たち”だと思うが、ウガンダ人のソーリーは我々の感覚に近いものがあるように思う。でも、今まで、(皆が皆ではないけれど)逆立ちしても「ソーリー」と言わない人たちや、照れ笑いが混じるせいでちゃんと謝っている感じがしない人たちとつきあって、それに慣れてきたからか、感覚的に理解できる「ソーリー」はかえって違和感だったりする。

ぼったくられそうになっても、強い口調で値切れば、まず大丈夫。押しに弱いところも日本人に似ているかな?

2010年9月21日火曜日

遊び疲れて@ザンジバル



迷路は路地裏、涼しくなると皆外に出てくる。
こういう光景はどこで見てもなんだか安心する。ご近所さんがいるんだなって。



意外と楽しめたザンジバル。

4日間で500枚以上撮ったかな。
強い直射日光を遮るND8フィルターと、F1.9のレンズが大活躍だった。




翌朝、魚市場でさかなを仕入れ
Uganda Airでエンテベに帰った。
スワヒリしか通じない市場で値段交渉するのも、また楽し(笑

East Afrcan Communityだからなのか、魚を堂々と持ち込んでもOKだったが
クーラーバッグに詰めた氷が溶け出していた。よく怒られなかったなあ…







帰路、ザンジバル空港の免税品店にて。レジの店員2人が、東南アジア系のムズング(外国人)だった。最初はさして気にもとめていなかったが、2人が小さな声で交わした会話が「…na」って言ってるのが聞こえてあーっ!と思った。

思わず、ちょっと、ちょっと、あなたどこから来たの?と聞いてみたら、やっぱりPinoy(フィリピン人)だった。こんな所までOFW(フィリピンの出稼ぎ)は進出してるのか――タンザニアでそんなに稼げるのかな?!とも思ったが、もしかしたら英語が話せるので重宝されているのかもしれない。

久しぶりに片言のタガログ語でコミュニケーション。マルーノン・カ・ナ・マグタガーログ?(タガログ語できるの?)コンティ・ラン(ちょっとだけね)…おなじみの会話がさすがに懐かしい。お互いにこんなところでタガログを聞けるとは思ってなかったからでしょうね。ひとしきり話が弾んだのでした。

屋台@ザンジバル



夕方6時頃、海に面したフォロダニ公園に屋台が出る。
具を選ぶと、後ろで炭火焼にしてくれる。勿論、醤油持参。



営業トークが炸裂していた緑シャツ君。
How are you my friend, my name is Mr. Nice price!
――面白くないのに、勢いにつられて笑っちゃった。




サトウキビジュースはライムとジンジャーが入って爽やかな味だった。
イスラムの街なので、このシチュエーションだが屋外でお酒は飲めない。
よってサトウキビジュース屋さんは大繁盛だ。





「ザンジバルピザ」はお好み焼きそのもの。
おたふくソースも持ってくればよかった!



海鮮!@ザンジバル


半年ぶり、冷凍じゃない海の魚たち。
言葉を発することもなく、黙々と平らげた(笑


      



あ、そうだ忘れてた。
お約束の。



タンザニアNo. 1ビア―「キリマンジャロ」
ウガンダの「ナイル・スペシャル」よりコクがあったかな。
軽くて好きなキレ味系、口にあった。

醤油とワサビは自宅冷蔵庫より持参。
おいしく魚を食すための執念です。

※ ※ ※ ※ ※

そういえば、行きの飛行機で本物のキリマンジャロがきれいに見えてました。



ストーンタウン@ザンジバル



完全に迷路、簡単に迷子。
ストーンタウンは世界遺産の街だ。




この影の濃さ、気温、湿気――
フィリピンが長かった身としては、ある意味feel at home




迷路の入り口。
近いと思ったら遠かったり、




遠いと思ったらもう着いてたり。





スワヒリ、イスラム、植民地が混在する
奴隷貿易と香辛料取引きの中心地だった。



このドアのイボイボは
植民地時代のインド建築の影響だそうだ。



メンバ@ザンジバル




ダウ船でシュノーケルに出かけた。
ザンジバル島北東端に位置するMnemba(メンバ)島へ




有名なスポットらしく、続々船が集まってくる。




透明度はイマイチだったが、魚はいっぱい。

魚群に囲まれて泳ぐと、
このシマウマみたいなのに食べられてしまいそうな気さえしてくる。



めちゃめちゃいっぱいおる…




2010年9月20日月曜日

ヌングイ@ザンジバル



少し遅めの夏休み、ザンジバルへ
ウガンダ住まいには、海と魚がまぶしい島だ。



着いたその日にオレンジロード。




帆をたたむのも絵になる。
ダウ船は味があっていいなあ。ヨットみたい。







2010年9月14日火曜日

接続!

いつの間にか、日本から持って来たケータイのサービス範囲が広がっていた。これまで通話サービスしかなかったのに、何とネット接続できるようになった。ということは、メールの送受信が可能になった。




日付の下、GSMの右にPというのが表示されると
インターネットAvailableの合図。


もっとも、このケータイを普段使いし過ぎると、あっという間に料金がかさむので油断ならないのだが――でも使っちゃうんだよなあ。日本語で打てるし。昨日、気付いた時はもう夜だったので、とりあえず時差のない国にいる人のケータイにメールしてみた。そしたらやっぱり、久しぶりに日本語を打つと、指が回らない現象(笑

この機種、安いのに海外でそのまま使えるのが便利なせいか、同業者で持っている人を4-5人は見かけた。出かける先が先ですからね、「安い=壊れてもOK!盗られてもOK!」というのは持ち物選びの基準として外せません。それに、空港に着いてからその国のSIMカード買うまで、ほんの数分の短い間かもしれませんが、通信手段がゼロになるという状態はできれば避けたい。そんな慎重派の願望をかなえてくれる機種なんですな。

2010年9月12日日曜日

目の毒

汗をかけるようになったら、みるみる熱は下がった。よかった。でも、喉が渇くのに、冷蔵庫を開けるたびに視線をクギ付けにする冷えたビールを我慢するのはなかなか…まだ薬飲んでるからな…邪念がわくほどには回復したってことだろうけど!

2010年9月11日土曜日

熱い。でも寒い。

昨日から発熱、38-9℃の熱にうなされている。熱はうなぎ昇りなのに、小刻みな寒気が止まらず、なかなか汗をかけない(=熱が下がらない)。日本から持って来た薬も一向に効かない。これはいよいよ――

マ・ラ・リ・ア?!と思ったが、簡易テストの結果はネガティブだった。熱も現地購入のパナドールでようやくたたけて(ただし薬の効果が切れると、まだ発熱&寒気のダブルパンチになる)だいぶ楽になってきた。

今日はラマダン明けのイードのお休みだ。

2010年9月6日月曜日

鎮座



ダイニングテーブルから
目が合うとこに。









座っておられる。



この置き物、みやげもの屋でよく見かけるのだが。“同じ動物で2頭セット”というのが珍しくて、つい買ってしまった。1頭じゃ買わなかったと思う。置きものだが、シマウマって意外と存在感がある。

プール事情

このところ明らかな運動不足&食べ過ぎだったので、今週は金曜夜のお酒を控えめにして、土曜の昼間にプールで泳いできた。よって今日は筋肉痛だ。

首都ならそこそこいい感じのプールくらいあるだろう、と思っていたが、意外にも手頃なプールがない。有名ホテルにあるプールは、泳ぐためというより眺めるためにあるようなものだし、やっと四角いのを見つけたと思っても、ちっさいのばかりだ。

いくつか見て回って、今日やっと、これまで見た中で最大のプールに辿りついた。タテ25メートルで5レーンだから、ちょうど小学校にありそうなサイズだろうか。

もう一つの難点は、屋内プールがないということ。こちらは存在しないことが確定しているのでもう諦めているが、この涼しい気候で需要はあるだろうに、何でないかなあ。

2010年9月1日水曜日

8月の終わり

むっーっちゃくちゃ忙しい1ヶ月間だった。さすがに摩耗した感がある。でも、去年の8月末頃と今と、って考えれば、今の方がずっと明るい気持ちでいる。だから「良し」とするかね。


八月に見たいちばんきれいな景色。

月光のナイル
シャッタースピード8秒。
手持ちなので三日月がまるで満月。
にしても、三日月がこんなに明るいのかと驚く。

2010年8月24日火曜日

piece

「たまご6個買ってきて」と頼んだら「マム、お金が足りなくて5個しか買えませんでした」となむ。えっ?たまごってそんな高かったっけ??と思いながら受け取った袋がやたらとデカイ…いやな予感(笑

――中には1つ6個入りのパックが5個! そんな、うちの運転手アイバン君。「6 piecesだよ、packじゃないよ」って言ったでしょ~?!しゃあない、2パックあげるわ。

仕事中はマイカーを使わないので、昼間、なるべくお使いを頼んだり、たまに人の用事を請け負ってもらったりしている。自宅と職場の往復くらいなら自分でも運転できるが、外で飲む頻度が高い私には、やはり運転手が必要なのよね。

2010年8月23日月曜日

Umqombothi (African Beer)

マイカーでたまたまこの曲が流れたら、ドライバーのアイバン君が「あーーこの曲♪」と食いつく。映画『ホテル・ルワンダ』で使われていた(たぶん唯一の)明るい挿入歌だ。

元々映画で使われる前に流行っていたのかな?と思って調べてみたが、分かったのはこの曲を歌っている人が『イヴォンヌ・チャカ・チャカ』という名前だってことだけ。でも、なんか楽しげな名前だ(笑

「Umqombothi」って何語だろう?アイバン君が分かるってことはスワヒリ語??と思って聞いてみたら、ズールー語なんだそう。何回聞いても「ウ○コ持ち」と聞こえてしょうがない(爆

2010年8月19日木曜日

第1集 20世紀の幕開け

番組内のナレーションによれば、このシリーズ放映当時(1995年)は『動く映像』が発明されてちょうど100年目にあたったのだそうだ。その都合上からなのか、あるいは歴史上、通常20世紀という「時代」は第一次世界大戦から始まると見るのがフツーであることを勘案してか――恐らくはその両方だと思う――番組は19世紀末の話から始まり、第一次世界大戦の導火線となったサラエボ事件までを描く。

この回は、まだ19世紀の雰囲気を残した比較的穏やかな10年間ということ、加えてシリーズ初回ということが重なって、どちらかというと『小ネタ』をつなぎ合わせたような構成になっている。人類史上初の上映用映像、とか、『動く』トルストイ、ヴィクトリア女王、ロマノフ王家、とか。孫文やガンジーの話を意図的に出して後に続く回の前振りをしたかと思えば、ゴーリキーのコメントや植民地映像の使われ方を紹介して「映像が果たした役割」に注目したり。

他の各回は歴史的イベントを中心に据えて作られているので、この回がやたらとぶつ切りな印象であることは否めないが、「動く映像」が発明された頃の人々の戸惑いや好奇心はひょっとしたらこんな感じだったのかもしれないとも思ってみる。

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この回の注目映像をひとつ挙げるとすれば、シリーズを通じてほとんど登場しないアフリカの映像が、ほんの数十秒だが出てくる。『コンゴあるいはイギリス領』で、大勢の労働者が――もう「奴隷」ではないはずだが、“奴隷”と聞いて一般に想像するイメージとそう違わない働かせられ方で――鉄道の建設に従事させられている。

今いる国のことだけを考えてみても、主要なインフラ(特にダム、発電所、鉄道)はいまだに植民地時代の遺産に頼っているし、「植民地」支配が一概にネガティブなことばかりではなかったという主張は聞かれて久しい。が、こんな扱いを受けたという記憶は、きっと生き続けるのではないかと思う。

今日「援助は形を変えた植民地侵略だ」という批判があったり、実際「これって“植民”じゃないの?!」と言いたくなるような過激な援助をする国もあったりする中、同時に、そのようなリスクは覚悟の上で、援助する側をうまく『利用』しようとする被援助国側のしたたかさが見られるのも事実だ。こうした「したたかさ」の源泉のひとつに、奴隷同然の扱いを受けたあの頃の記憶もあるのではないかと思う。

アクセス解析によると、最近、「映像の世紀」「映像の世紀 公民権運動」というキーワードで検索し、このブログに来てくれた人がいたようだ。期待に応えられる内容ではなかったと思うが、せっかくだから久しぶりに映像の世紀ネタを書いてみた…んだけど、やっぱり書こうと思って書くと、なかなか言葉が出て来ませんね。

2010年8月18日水曜日

ラフティング


ナイルでラフティングだなんて、単純に面白そうなんだけど。
この激流、日本じゃ営業許可おりないだろうなあ(笑




気持ち良さそうに見えるかもしれないが、住血吸虫がいるので
ホントは水しぶき一滴でも触れない方がいい水。

というわけで、私は未体験。




でも目の前で見てみると、やってみたくなる気持ちは十二分に理解できた。

2010年8月16日月曜日

JINJAにて






夕闇のナイル





逆光のわたし。元気です。



SA



幹線道路沿いに屋台が並ぶ、いわばサービス・エリア。

ただし、車を降りる必要はない。





青い売り子たちが猛然と駆け寄り、

われ先に窓から手を突っ込んでくる。





車の中から見ると、こんな感じ。

肉(牛、鶏、レバー)の串焼きが人気です。

2010年8月13日金曜日

スタック



後輪の跳ね上げる泥を盛大に浴びながら、
まあ、押せば何とかなるんだけど。





1泊の出張で3回押した。




2010年8月9日月曜日

北回廊


ケニアのモンバサから来た線路が、ここでナイル河を超えカンパラに向かう。
昔は旅客サービスもあったが、今は貨物列車のみが1日二便走る。





この辺りは白ナイルの源流、地中海まで6000キロを超える旅の出発点。
線路も長いが、河はもっと長い。




2010年8月8日日曜日

EAC

East African Community――東アフリカ共同体。EUが機能するようになるはるか前、東アフリカに地域共同体があった。

域内は関税フリー、域外に対しては共通の関税をかける。共通の通貨、共通の郵便制度、鉄道・フェリー・航空会社も域内をカバーした。1977年、諸々の不協和音を抱えて瓦解するまで、実に半世紀上も機能していた。ウガンダでも、ある一定以上の世代の人に聞くと「あの頃はよかった」的なコメントだ。

――まあ、そりゃそうだろう。鉄道もフェリーも、今はほぼ機能していない。航空会社はケニアが持ってっちゃった。そこそこ広くて海に面しているケニア、タンザニアはともかくとして、世界地図を開いたら小さ過ぎてよく見えない内陸の三か国は、大きなメリットを失うことになった。(――それはとりもなおさず、ケニア、タンザニアにとってこの共同体にどれほどのメリットを見出せるのか、という話でもある。)

ケニア、ウガンダ、タンザニア、ルワンダ、ブルンジ。今あるEACは2001年に発足しており、そこだけ見ると、てっきりEUのマネでもしたかのような印象を抱いてしまうが、実は20世紀初頭から徐々に形成され1948年には一応の形になった『初代』EAC(1948年当時は『East African High Commision』)があったのだ。

1948年ってことは、まだ独立前。ということは、中心の三つ(ケニア、ウガンダ、タンザニア)を一緒にするという発想は、イギリス発ということなのだろうか。当時、ケニアは直轄植民地、ウガンダは保護領、タンザニアは委任統治領だった。色んな名前が付いているが、要はイギリスの「植民地」。分割統治がお家芸のはずだが、なぜか東アフリカに限ってはまとめたくなったらしい。何故だろう?

歴史では習わなかったし、大学でも大学院でも、EACの記述に触れたこと、あったかなあ?少なくともまとまった研究を目にしたことはなかった。

2010年7月16日金曜日

のど元

市内の警戒度が一気に上がった。まあ当然だ。この緊張感が、やがて慣れに変わる。そのタイミングをよく見極めて自分の中の警戒度を上げなければならない。

なかなか難しいことだけれど、ずっと警戒度をあげっぱなしにするのは、ゴルゴじゃあるまいし、精神的に不可能だ。それにテロを起こす側に立って考えてみればいつが狙い目なのか、ということだ。

事件が起きて、緊張状態になって、冷静さを取り戻す、の繰り返しは、何度味わっても慣れない。どんなにコントロールしようと努めても、緊張の後には空白が生じてしまう。だから忘れないように、今のうちに書いてみた。

2010年7月14日水曜日

私は無事

ここでは無縁だと思っていたが、カンパラ市内で連続爆弾テロが起きて、70名以上の死者が出た。今日も衛星放送でW杯決勝の映像が繰り返し流れているが、とても見れたもんじゃあない。

一発目はハーフタイム中、二発目は後半終了間際だった。現場から2キロほどのレストランの庭で観戦していた私は、その音を花火と勘違いした(…実際、夕方に花火上がってたしな、あの日は)。二発目はやたらと大きな音だったので、みんなで何だろうね、とは話していたけれど、まさか――。

翌朝になって爆弾と知った。あの時、あの瞬間に大勢の人たちの命が奪われていたのかと思うと、決勝のリプレイは見れない。やっぱり。

私自身、アフリカ初のW杯を大いに楽しんだ一人だった。決勝を狙ってこんなことするなんて、卑劣極まりないと思う。テロに心情も何もないと思うけれど、これは本当に心底許せない。

2010年7月9日金曜日

Africa United (改)

あの黄色いシャツがほしいのだけれど。





We left many years ago
The game called us, and we answered

We left Africa behind to take on the world
But now, it's time for us to return

To play at home
To play for Africa



ヨーロッパなど海外で活躍するサッカー選手たちが、南アW杯に出るためにアフリカに帰って来るというストーリー。実際の選手たちが出演しているらしい。南ア発アフリカ最大の携帯会社で、今大会メインスポンサーのひとつでもあるMTNのCM。

勢いとか、明るさとか、かっこよさはもちろんのこと。サッカーだけでなく、色んな分野で人材流出が続くアフリカで、故郷の発展のためにいつかこうして皆戻ってきてほしいって願いが、つまっている気がして印象に残った。

音も画質も悪いですね。録画ではなく、ビデオカメラでTV画面を映し(水平でないのはこのため…)、無理やりサイズを落としたためです。このCM、W杯全試合放映するチャンネルだと、試合開始前の特定の時間帯にしか流れません。カメラをセットして、何度かトライしてやっと撮れました。

CM中に出てくる“Africa United”の黄色いシャツは、MTNスタッフ用限定だとかで、残念ながら非売品。でも、街中で着てる人をよく見かけるので、最近何とか手に入れようと奔走しています。MTNの人と友だちになろうとね(笑


※Quick Timeがなくても見られるように、ファイル形式を変更しました(7月8日)。
※動画が勝手に再生されるのがやや気になるので、YouTubeに変更しました。(8月1日)

2010年7月4日日曜日

ハラハラ

夢中の観戦も、どこかうわの空。いつテレビが途切れるかと思うと…

停電→ジェネレーターが動くまで中断
大雨→衛星回線が落ちるらしく、中断
地上波→「今?」てタイミングで、急にCM

…日本戦なんか、PK戦に入るところで突然CMに。ア然とした(笑

終盤

ガーナが負けた。最後は日本戦よりエキサイトしたかなあ。

問題は、最後のPK戦ではなくて、延長終了間際の最後のワンプレー。明らかに枠内に向かっていたガーナのボールを、ハンドで止めた選手がいた。

どう見てもフェアプレー精神に反する行為なのに、当の本人は試合後に自慢気に振り返っていたらしいことを知って驚いた。勝ちは勝ちとしても、一発退場になってるんだし、はしゃぐようなことではないと思うのだけれど。…お国柄??


<追記>

日本語媒体ではほとんど批判記事を見かけないけど、こちらのTV出演者(元イングランドの人らしい)が厳しい口調で非難している。明らかなゴールを妨害するようなハンドの場合は、得点を認めるようにルール改正しないといけない、だそうだ。全く同感。あれがきっかけになってルール改正されたら、あの選手とあのプレーは永らく語り継がれるでしょうね。決してポジティブな文脈にはならないと思いますが。

もっとも、こちらの番組でも意見は分かれています。チームのためのファウルなら仕方ないのでは?とのコメントもあります。しかし先のコメンテーターは即答で「君はあれがフェアプレーだと思うのか?」と返してましたね。

2010年6月29日火曜日

Waving Flag

日本でもコカ・コーラ社のCMに使われていたでしょうか。『Waving Flag』が耳から離れません。元は社会派な曲だったのを、W杯公式ソングとして歌詞を変えたんだそう。サビではないけど、嬉しさがつまっている感じがして好きな箇所↓↓


♪♪ Let's rejoice in the beautiful game,
And together at the end of the day ♪♪


2010年6月25日金曜日

あの日は

アフリカのTVが、カメルーン戦そっちのけで日本のリプレイを流しています。おめでとう!

2010年6月15日火曜日

完全アウェー

完全アフリカびいきの中継で楽しむ日本戦――「今日だけは聞かれたらアイム・チャイニーズって答えようかな(笑」などと安全対策を話し合うも楽し(←アフリカのチームに勝った国の人間とバレて袋叩きにされたら困るので。しかし実際は祝福の声をかけられた)。祝勝利ですね。

目利き


近くにいても見逃しそうになる。
ちゃんと自然の色にまぎれているんだな。感心。



…え?どこ?




あー、いたいた。カバだ。





草原にまぎれる。



よく見たらいっぱいいる!




あなただけは遠くから見えました。