2011年9月30日金曜日

マダムチェア

フィリピンでは女性の敬称といえば「マム」だったけど、ここでは「マダム」が一般的のよう。最初の頃は、「Yes,マダム」と言われると、セレブでもないのに変なの…と違和感ありありだった(笑

ここ最近、規模は小さいが外部の人との定例会議で進行役を務めている。通常こうした進行役は「チェアマン」とか、ちょっとジェンダー・センシティブに「チェアパーソン」、「チェア」とか呼ばれる。もっとも、私の場合は単なる“進行役”であって、“議長”と呼ばれるほどのリーダーシップは発動していない――と、常々思っていたものだから。

ある日の会議で突然「マダム・チェア!」と呼ばれた時は、思わずギョッとしてしまった(笑 自分がそんな大そうな呼ばれ方をされるとは、思ってもみなかったのだ。しかも、なぜかそのうろたえぶりを反射的に隠そうとした自分が可笑しかった。

2011年9月28日水曜日

『わるいやつら』

確かめたいことがあるから、松本清張2冊目。上下2巻本だが、出張前の週末にサクッと読めた。

元々、サスペンス(というより、ジャンルを問わず小説全般)をそれほど読むわけでもなく、松本清張も名前といくつかの代表作の題名を知っている程度なのだが、どうやら繰り返し映画化、ドラマ化されている有名な作品のよう。

主人公は、高名な医者の跡取り院長先生、絵に描いたようなザ・放蕩息子。最初の死亡事件(実は殺人事件)を除き、2人目以降さしたる心の葛藤もなく次々と殺人を「思いつく」ことに、こんな調子じゃ30過ぎまで犯罪と無縁でいられたことが説明つかなくなると思った。もっとも、心の葛藤――この主人公の場合、それは人を殺めることに対する罪悪感ではなく、犯罪が発覚することへの怖れだけれど――は殺人を犯したあとには必ず襲ってきて、やがて尻尾をつかまれる原因ともなる。一度そうしたイヤな恐怖を味わっているのに、なお、軽々しく次の殺人を思いつくのは、ウソを隠そうとしてウソを重ねる心理なのかな。ウソと殺人は違うけれど。

最近のTVドラマ化では、『黒革の手帳』『けものみち』につづく三部作の最後として本作が選ばれたのだそうな。前の二作と同じ女優を主演にするために、あえて主人公を看護婦(かつ主人公の情婦)にしたということだが、あの女優には是非、プレイボーイの主人公を手玉に取り、最終的に財産まで掠めとってしまうデザイナーの役を演じてほしかった。主役とするには、原作の中での描写が少な過ぎるということかもしれないが、本当の「わるいやつ」は彼女を置いて他にいないと思うな。主人公やほかの取り巻き情婦たちにも、それぞれに「わるい」ところがあるわけだが、どちらかというと頭の軽さと呆れるほどの性欲の方が目を引くわけで。

さて、確かめたかったことの、今のところの結論だが、やはり意図的に早い段階で犯人を明示しているようである。もっとも本作の場合、最初の死者を誰が殺したのかについてだけは最後段まではっきりせず、最後の最後に、どうやら主人公が情婦に一杯喰わされ濡れ衣を着せられていたらしいことが分かる。前後して、あの人からもこの人からも、騙していたつもりが騙されていたことが次々と明らかになり、こうまで見事に主人公のトホホっぷりを描けるところが「松本清張」なのかな、なんて思ってみたり。

2011年9月26日月曜日

コゲとバジル

ご飯を焦がしてしまった。不覚。ちょうど炊き上がった頃に来客があり、自分では火を切ったつもりがどうやらつまみを反対方向にひねったらしい。10分後、もうもうと立ち上がる煙を見るまで気付かなかった。

底はもちろん真っ黒コゲだったが、それ以外は見た目5分の1ほどがうっすら茶色くなっている程度。全部で2.5合くらいあると思われ、捨てるのは憚られた。さて、では、この焦げくさいうっすら茶色のご飯をどうするか。

焦げ味をごまかすため、ともかく味付け濃い目のおかずをご飯にのっけて食べていたが、カツ丼に添えたバジルが意外にいい働きをすることを発見。完全にコゲの苦みをやっつけてくれた。

イタダケナイ

すすめられて手にとった『銀行告発』という小説が、全編にわたり作者の自己満足が透けて見える内容で辟易した。この本、ホントに宣伝文句に書いてあるとおり売れたんだろうか?

出だしからイタダケナイ感じが漂う。見開きに作者の紹介が写真つきで載っているのだが、その写真と、主人公は自らをモデルにしているらしいことが頭に残っている間に、冒頭、いきなりベッドシーンである。好みは色々であろうが、私はあのオッサンの濡れ場など文字面で読み流すだけでも気持ち悪くなった。見開きに顔写真を載せないか、あるいは冒頭を書き直すかの、どちらかにすべきであった。さらに、主人公がバツイチ・ダンディー男という設定になっていて、益々イヤな予感が募る。この主人公は、作者「自身」なのか、それとも「そうなりたい自分」なのか――どちらにしてもイタダケナイので、知りたいとも思わないが。

この本がホントに宣伝文句どおり売れたんだとしたら、元銀行員が銀行のイタダケナサを曝露しまくったストーリーが受けたのだろう。しかし、イタダケナサに直面するたび、憤るか泣くかしかしない主人公の感情描写の浅さったらない。ナルシストであろう作者の筆致から、主人公が“水戸黄門状態”であることは読み始めてすぐに分かってしまう。どんなに敵が切りつけてきても刀の方が避けてってしまう、あの感じね。だから、最後の大団円なんか、作者(=主人公)が『オレハヤッタゾ』と自画自賛しながらひとり悦に入って感慨に浸っているのが見苦しくさえあり、正気か?恥ずかしくないのか?と読んでいてドン引きだった。

大組織の底意地の悪さと闘うという構図は、ここ最近読んだ中では、『下町ロケット』『沈まぬ太陽』との共通点と言っていいと思うが、読後感が違い過ぎる。それは、丹念な描写の有無であり、そこにあらわれる作者の謙虚さではないかと思う。自己満足型の作家には、そのような主人公しか描けないのかもしれない。

表記

ソマリアのイスラム過激派で、2010年7月のウガンダの爆弾テロを起こしたとも言われている『アル・シャバーブ』だが、なぜか日本の大手A新聞は『シャバブ』って表記するんだよなあ…WikiやBBCやCNNで見る限り、どこもそんな表記はしていないのに。何にこだわってるのか?まさか国際的に広く認知されている通称を知らないということはないと思うのだが。

2011年9月24日土曜日

はじめてのナイロビ

ケニアのナイロビで会議があり、出張してきた。アフリカの危険都市ビッグ3と言えば、ナイロビ、ヨハネス、ラゴスだが、これでナイロビとラゴスの2冠達成だ。雰囲気はラゴスの方が殺気立っていたかなあ。ナイロビが乾燥して涼しいせいもあるかもしれない。大都市なのに爽やかな雰囲気すら漂う街だった。

会議は同時通訳(英語、仏語)付きだった。英語圏と仏語圏にほぼ二分されるアフリカではさほど珍しいことでもないのだろうが、何せ初めだったもので、ヘッドホンを耳に当てるたび、何だか無性にワクワクした。

カンパラに帰ってくると、のんびりした田舎に来たみたいな安堵感(笑

2011年9月18日日曜日

サーフィン




雨季の「風物詩」



街のど真ん中でサーフィン気分を味わえる。
慣れてないとスリル満点だ。








タイヤ半分浸かってますよ~!!



…だから四駆なのだ。












2011年9月15日木曜日

冷夏

どうも今年は寒い気がする。そりゃ今までも寒い日はあったけど、フリースとヒートテックの両方がいる日なんてほとんどなかった。それがここ2ヶ月ほどは、両方着たうえに長袖・長ズボン・靴下をはかないと、明け方に寒くて目が覚めてしまう。地球温暖化時代の赤道直下がこれでいいのか?ってくらい寒い。

2011年9月14日水曜日

『下町ロケット』

またやってしまった…月曜から夜ふかし読書…アホだわ。

====(引用開始)=====
「誰に向かっていってんだ」
田村は眼底に怒りを揺らめかせた。
「田村さんに対してに決まってるじゃないですか」
====(引用終了)=====

身につまされる思いをしながら、つい吹き出してしまった。こんなこと仕事の場で言っちゃうおバカさんは、小説の中まで探したって私だけだと思ってたんだけど(笑 「誰に向かって――」なんて言い方は、だいたい、自分の方がエライと思っていながら議論で劣勢に立たされた「残念」な輩が負け惜しみで口にする言葉だ。「誰って、今、目の間にいるあなたに決まってるじゃないですか。何でそんな分かりきったこと聞くんです?」と言えば、相手の“残念な感じ”を決定づけることになる。もちろん、それがいいかどうかは別の話ゆえ、さすがに後から多少の反省はしたものだが。浴びせられた侮辱の言葉もひとかたならずひどかったので、その場は『おあいこ』ということでおさまったのだった。

勧善懲悪かつハッピーエンドな結末を予感させる展開が、つい先を読ませるだろう。ストーリーの建てつけは面白くとも、社会派というほどではない。気楽に読む本だ。いいところで主人公を助けてくれる元妻が、最後の場面に登場してもよかったかな。

2011年9月12日月曜日

11

9.11
3.11
ウガンダは7.11も。

やりきれない幾多の無念とともに。

山水



水と緑が豊かなウガンダ。



写真だけ見ると日本かとさえ思ってしまう。








滝のウラ側。











葉脈くっきり。




Sipi Falls & Mt. Elgon NP



2011年9月9日金曜日

続・エスカレーター

昼休み、ご飯を食べにショッピングモールへ。いつものようにエスカレーターで1階にのぼっいてくと、降り口付近におばあちゃんがこっちを向いて立ちふさがっていた。よく見たら、足を出したり引っこめたりしているので、思わず(あぶない…!)と目をつむりそうになった。大声で「マダーム!下りはこっちですよー!!」て隣を指さしておしえると、「あ、そっか」と言わんばかりの照れ笑いを浮かべて、無事下りのエスカレーターに乗ってくれたのだった。

夕方、エスカレーターが苦手なうちの運転手アイバン君にその話をしたら、「だってウガンダで、エスカレーターはあそこしかないもん。みんな乗り方が分からないんだと思うよ」となむ。以前は隣のショッピングモールにもあったそうだが、あまり誰も使わず、そのうちに壊れてしまったのだそうだ。みんなが慣れるまで、上り・下りの看板でも置いた方がいいと思うな。

2011年9月7日水曜日

『点と線』

月曜の夜11時――ちらっと見るだけ、と思って本を開いたのが間違いで、結局日付が変わるまで夜更かしして読み切ってしまった。週の初めから何してるのやら。

松本清張は初めてだったが、なるほど面白かった。

裏表紙によると、これが出世作だったらしい。読み終えてから1957年連載の作品と確認し、色んなことが納得できた。なぜなら、現代目線で見ると、犯人は最初の10数ページで見当がつくし、トリックも「電車じゃなければ飛行機か船なんじゃないの…?」と思ってたら本当に飛行機だったし。引っ張るだけ引っ張ってこのオチかよ――?と突っ込みたくもなったが、1957年なのだ。まだ東海道新幹線さえ開業する前のこと。飛行機などとても庶民の乗り物とはいえず、読者にとって予想外の移動手段たり得たのだろう。

犯人の目星がかなり初期の段階でついてしまうのは、あえて犯人を明示したうえで攻防を描く古畑警部補のような手法をめざしたのか、あるいは当時の読者にはこれでも十分最後まで謎として提示できたのか。もうちょっと作者の他の作品も読んでみないと判断できない。

犯人はその時代に飛行機を乗り回すほどの金持ちなので、何も自ら手を汚さなくても良かったのではという気がしたし、被害者男性の愛人については結局誰だか分からずじまいだった(一方、被害者女性が犯人の愛人であることは状況から予想の範囲内)。いくら国内線でも乗り継ぎ1時間ってのは短過ぎないか?と思ってみたり。突っ込みどころはそれなりにあるものの、客観的な証拠を積み重ねて追い詰めていくスタイルは、やはり文句なしに面白い。1950年代という時代の描写も含めて、半ば推理小説、半ば時代小説として楽しめた。

2011年9月6日火曜日

あざらし

帰りがけ、雨脚が強まった。運転手のアイバン君をそのまま返すのも悪い気がして、モンベルのカッパを貸してあげた。少し丈が足りないが、何もないよりはましであろう。最後にフードをかぶせたら「あ、あざらし…」「マダム、あざらしッて何…?」(そうだった、海ないんだった。)

カッパのフードは、誰が着ても、もじもじクンのように面白おかしい見てくれになってしまうものだけれど。そういえばアイバン君、結構小顔だからな。

2011年9月4日日曜日

きっかけ

友人からの差し入れ三冊目、『風林火山』をようやく読み終えた。

以下、課題の感想文(笑

ここのところ小説はひと晩一冊だったのだが、珍しく2週間ほどかかった。文字の量ではない。題材が武田信玄(主人公は山本勘助)だったのと、作者が井上靖だったせいだろう。歴史小説というより文学作品だった。

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さて、その武田信玄。戦国の武将の中で、一番最初に名前を覚えた人物だった。いや、正確には、日本史に出てくるあらゆる歴史上の人物の中で、はじめて覚えた人物だった。小学生の頃、歴史といえば、昭和の前が大正で、大正の前が明治で、その前が時代劇に出てくるチャンバラの江戸時代――そのもっと前は“かみさまの時代”だったと、根拠はないが本気で思っていた。だから、江戸時代の前に『戦国時代』なる時代があると知った時は、衝撃だった。そのきっかけが、1988年の大河ドラマ中井貴一の『武田信玄』だった。

まあ大河ドラマ自体は、若かりし頃の中井貴一が無理して低い声だそうとしているのが子ども心に「変なの」と思ったり、上杉謙信も無理してキザを装い全然カッコ良くないなと思ったり、晴信の嫁にいつも影のように付き纏う侍女のオバハンこわっ!と思ったり。大人になってから、歴代大河ドラマの中でも高視聴率だったらしいことを知ったが、確かに子ども目線でも楽しめる一大エンターテイメントだった。

しかし最初は、作り話だと思っていた。たまたま当時うちへ来てもらっていたベビーシッターのおばちゃんが熱心な大河ファンだったのだが、毎週土曜、家へ帰るとその時間帯だけは決まってわが家の三人姉弟をTVの前に集め、晴信タイムだったのだ。それである時、おばちゃんがあんまり熱心な様子なので、思わず聞いてしまったのだ――「どうせ作り話なんでしょ?」(イヤなガキ!)。そしたら、おばちゃんは作り話ではないと言う。本当に昔あったことだと。そんなはずはない、江戸より前はかみさまの時代だもん――と反論したかどうかは覚えていないが、少なくとも密かにうろたえたのは確かだった。

以来、学校の図書館の歴史の本とか伝記の本を片っ端から読んだ。おねだりをして少年少女日本の歴史を少しずつ買い揃えていった(今でもわが家に全巻ある。引っ越しの時処分する話があったが、私が反対した)。中学受験のために塾を探した際、いかにも弱小そうな駅裏の雑居ビルのとこがいいと親に訴えたのも、本棚に全巻揃った歴史マンガを見てのことだった(笑 大河ドラマも、しばらくは家族で欠かさず見るようになった。6年生の夏休み自由研究が『太平記』だったのは、今思うとさすがに渋すぎたと思うが、結局大学に至るまでこの歴史好きは治らず、おかげであまり就職に役に立たないとは薄々気付きながらも修士までおさめてしまったわけだ。

そういうわけで、武田信玄は、好きな武将かと言われるとそうでもないが、格別の思いがある響きなのだ。
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こんな調子なので、読み進めながら、ストーリーとは全く関係のないところで昔の記憶をたどったり、ネットに転がってる動画を見てみたり、史実はどうだったっけとウィキペディアをのぞいてみたりで、文学作品を味わうのが次第に億劫になってくる始末だった。それにしても、何で山本勘助だったのかな?川中島で討死してしまうので、何となく、いくら由布姫病死という区切りがあったとはいえ、話の終わり方が唐突であるのは否めない。主人公の心の動きはさすがに丁寧に描かれていると思ったが、由布姫への感情がどう見ても『父親の気分』以上のものがあって若干気味悪く、文字面では追えるものの真に迫るものがなかった。

消える靴下

どうも最近、洗濯に出てる靴下の数が減ってる気がしていた。かといって、引き出しは空。どこに行ってしまったのかと思ってたら、昨日の夜、蚊帳をベッドにはさんだすき間から大量に出てきた(笑――あ、そうか!

それ見るまでまったく無意識で気付かなかったが、ここんところあまりに寒いので、室内でも靴下をはきっぱなしなのだ。そのままベッドに入り、毛布をかぶってから靴下を脱いでるんだな。よって、毎晩一足ずつ、謎の失踪を遂げていたわけだ。くだらないことだが、急に謎が解けて感心してしまった。ここ数日は、ヒートテックにフリースを羽織らなきゃならないほど、朝晩の気温が下がっている。

2011年9月3日土曜日

レア

また首相が変わったんだねー!と、皮肉ではなかろうが随分と珍しがられる。四半世紀以上ずっと同じ大統領ってのも結構珍しいけどね。それにしても、今回ほど「誰だっけ?」て思っちゃう人だらけの内閣ってのも、ちょっと記憶にない。