2013年12月31日火曜日

よいお年を

今年は変化の年でした。前半はウガンダで、短い日本滞在をはさみ、後半は米国で過ごしました。渡米後5か月が経ち、必ずしも馴染んでいるとは言えない中で迎える年末ですが、初心を振り返って今年最後のエントリとしたいと思います。6月16日、ウガンダからの帰路経由地ドーハで(乗継が8時間もありヒマだったため)書いたメモです。(都合により、一部改)


◇ ◆ ◇


ウガンダへきた時、アフリカでの初仕事が嬉しかったのと同時に、必ずこれを次へのステップにしたいとの思いがあった。留学は当初から最有力オプションだったと思う。

ローンのオペレーションを前に進めることが自分のミッションで、最初は分からないことだらけでストレスも大きかったが、自分の理解が進むにつれ、理解の度合いにきっちり正比例して仕事の結果が出るのが楽しくもあった。諸般の事情もあり、かなり早い段階で職場内で当該業務に明るい実質唯一の人間になれたことが、結果的に自分の存在価値を明確に感じられる環境や自信、居心地の良さにつながった。ずっと「専門性のなさ」に悩まされてきた中で、専門性があったらどんな風なのかということもはっきりと想像できるようになった。

とは言え、何を専門とすべきかを具体化するのは簡単ではなかったし、それほど楽しい作業でもなかった。職住接近かつ在外の環境で時間はたっぷりとあるにはあったが、仕事後にもう一度緊張状態を作るのは至難の業だった。

ウガンダにくる前に読んだBOPビジネスの本が面白くてぼんやりと民間振興のようなことを考えていたところに、欧州ドナーから「その水力発電所はPPPかIPPか?」と聞かれたことや、ローンのオペレーションに水が合うなと感じていたことなどが重なり、たどり着いた答えがビジネススクールだった。

◇ ◇

赴任して間もなく1年が経とうとしていた時、東日本大震災が起きた。ウガンダの任期は、祖国の国難の時期でもあった。アフリカ市場開拓の先兵となることは必ず国益にもかなうはずと思う一方で、よその国の支援をしている場合ではないと感じるのは自然なことだったし、本邦企業のアフリカ進出のニーズもビックリするほど小さいというのが実感だった。誰もが聞いたことのあるような大手でさえ、他の国の企業なら当たり前に取るリスクをほとんど取ろうとしないのだな、ということを思い知らされたこともあった。

いずれにせよ、将来どこかの時点で日本の復活のために働きたいと思う日がくるのではないかという気がしている。案外と国内にいない人間にも活躍のチャンスはあるんじゃないか、とも。開発途上国というけれど、吸ってる空気はよっぽど明るく希望に満ちており、国づくりの気概というものを肌で感じてきているわけだから、この正のオーラを還元する機会を探っていきたいものである。


◇ ◆ ◇ 


みなさま、よいお年をお迎えください。


2013年12月29日日曜日

階段




キャンパス近くの有名な階段。ホラー映画に登場したんだとか。




くだりはアーチの向こうにKey Bridgeがのぞく。



この階段の脇にある建物が、数年前までビジネススクールの校舎だったらしい。


2013年12月27日金曜日

味噌牛乳

とん汁を少し洋風にアレンジできないかとレシピを探してみたところ、牛乳を入れるという案が最有力に。意外とイケてて新鮮だった。



 これは試作品で肝心の豚肉が入っていない(笑 本番は土曜日に。

近況

たまにはこの方の近況も。メールはいつも1行か2行で、『お元気ですか。僕は元気です』としか書いてないうえに、わざわざ「メールしたよー!」ってお知らせの電話がかかってくるという本末転倒ぶりなのだが(笑、元気そうな写真はやはり嬉しい。




あのシュールな動物園に行く機会があったらしい。ちょっとビビり気味の1枚目と、たぶん周りから言われてニカッと笑った2枚目、ちょうど合わせるかのように背筋を伸ばしてくれたハシビロコウ(鳥)の取り合わせが絶妙で、組み写真として見たい二枚。多分一緒に行った日本人に撮ってもらったのだろう。さすがよく撮れいている。ポケットに物入れ過ぎだけどね。



ちなみにフツーにそこにいるようなたたずまいだが、ハシビロコウはIUCNレッドリストにも載っている絶滅危惧種だ。

2013年12月24日火曜日

引っ越し作業完了

ブログの再・引っ越し作業(FC2⇒Blogger)を1日がかりで何とか完了。文字化けしていたり、タイトルが飛んでいたり、段落間の行間が詰まっていたり…と体裁の面で色々とあることはあるものの、クリック一発ではない作業を素人なりにやり遂げたという達成感の方が今は強い。


以下は自分用の備忘録:

  1.  FC2エクスポートから年度ごとのtxtファイルを作る(2012年だけは何故か手順5.でエラーが出るため、月ごとのファイルをエクスポートした…つまり、手順1.から6.を手動で12回、繰り返したということ…さすがに疲れた)。
  2.  1.のファイルをTeraPadというネットで拾ってきたソフトで開き、「ファイル>文字改行コード指定保存」で「UTF-8」を選び上書き保存。そのまま閉じずにCtrl+Aで全選択してテキストをコピーしたら、
  3. Bloggerブログ移行用、MovableType形式のエクスポートデータの日付を変換するツールの変換ボックスにコピペ。変換ボタンを押したら、変換後ボックスを全選択コピーしてTeraPadに貼り付け。
  4. 念のため2.の手順で文字エンコードがUTF-8のままであることを確認したら、TeraPadを閉じる。
  5. MovableType2Blogger conversion utilityの手順4を利用し、4.のファイルをtxtをxmlに変換。
  6. 「Blogger管理画面>設定>その他>ブログのインポート」で5.のファイルを参照し、インポートボタンを押して完了。

何故だか分らぬがつまずいたところ:

  • UTF-8へのエンコード:Windowsのメモ帳で名前を付けて保存するときにUTF-8を選べばOK、という記事も散見したが、私はどうもうまくいかなかった。よって、わざわざダウンロード&インストールするのが面倒だったがTeraPadを使用。
  • Bloggerの時刻表示問題: 最初、Wordのワイルドカードを使って変換する方法を試みたが、インポートすると今日の日付、現在時刻になってしまうので断念。困ってだいぶネット上を彷徨ったが、3、の方のツールを発見し一発解決した。有難い。
  • Movable Type… utility:手順4だけ実行すればいいということに気付くまで2時間ほどロス。MovableTypeへのアカウント登録が必要なのかと勘違いし、Movable Typeって何?というところから調べてしまった。紛らわしい!
  • 2012年12月がxmlに変換できない:手順5が、2012年12月のエクスポートファイルだけどうしてもエラーになってしまい上手くできなかった。ちょうど去年の今頃の分のエントリということになるが、幸いMBAのエッセイ2ndラウンド真っ最中の時期だったため、エントリはたったの2件のみだった。迷わず手動でコピペすることに。

ちなみに、今回の作業ではテキストのみ引っ越して、画像は今でもFC2を参照するようになっている。さらに、テキストに埋め込んだリンクは前の前のブログであるDTIブログを参照しているわけだが、今のところ両方とも一応問題なく表示されるので、このままでいいやという結論だ。

 ◇ ◆ ◇


そういうわけで、今後とも拙ブログ『コンテンポラリー帳』をご愛読いただけましたら嬉しく思います。Happy Holidays!



プレイバック秋学期(5) カルチャーショック・アメリカ流!商売の基本編

基本はずばり、『足元を見る』

例1:高い学食

そもそも生協などないので、キャンパス内にフードコートとチェーン店のレストランが入っているのだが、サンドイッチ1個7ドルなど、どこも1食10ドル前後使わざるを得ないような価格設定になっている。おかしいと思って聞いてみたら、キャンパス内は市中より高いのだそうだ。競合がほとんどなく、学生はそこで買わざるを得ないから、だそう…収入のない学生相手に、信じられぬ仕打ちだ。

 例2:メトロ

そう考えてみたら、メトロの運賃が高いのも同じ理屈だと気付いた。競合がないのだから足元を見ればいいのである。たとえそれが市民の足であっても。車を買えない所得レベルの人々にとって死活問題かもしれなくても。



入学直後の夏学期の授業で、議会の証言にも頻繁に登壇するジャンセン教授が誇らしげに言った。

曰く、『アメリカの生産効率性は世界一』 となむ。

…うっそーー?これで??!!と思ったものである。その頃すでに、目にするあらゆる物のクオリティがいちいち気になっていたので、とても効率的な生産体制が築けているとは実感できなかったからだ。

しかし、それは思い違いだった。私は「生産効率性」と聞いたとき、効率的に生産している――たとえば日本の自動車工場のような画を思い浮かべたのだが、ここで言う「生産」とは恐らく、お金=出来高のことだったのだ。計算式で書くなら収益/投入コストの ような。『足元を見る』商習慣に気付いた時、やっとジャンセンが言っていたことが納得できた。つまり、いかにコストを抑え(…と言ったら聞こえがいいが、 明らかにクオリティを犠牲にして)それを高く売るか、それがアメリカが世界一であるところの”生産効率性”と言うワケだ。アメリカが犠牲にしているのは消 費者の利便性だ。翻って、日本はよく高コスト体質だと言われるが、そのかわりクオリティも高い。いや、多分本当はもっと高くてもいいものまでがお手頃価格 で売られている。それを支えるのは何千万人ものサービス残業――日本の場合は生産者の側に負担を強いているというワケだ。両者には斯様に一長一短あり、どちらも誰かの不利益の上に成り立っている仕組みであると思うにつけ、外資企業などに「ニホンハ高コスト体質」だなんて、カンタンに言わせちゃダメなんだなと思う。(日本生まれ、日本育ちの私には、クオリティを犠牲にするような日本は受け入れ難いが、かと言ってサービス残業を強制される社会がいいとも断じて思わない)。

2013年12月23日月曜日

プレイバック秋学期(4) カルチャーショック・公共交通編

バス
  • 平日の朝夕しか走っていない。
  • その走ってる時間帯も、1時間に2本だけ。
  • 予告なく勝手に運休する。
     ⇒⇒当然だが、次のバスまで待ちぼうけである。待ち時間は30分とは限らない。帰宅時、駅でタッチの差で逃した上に次の便を(勝手に)運休にされた場合は、既に30分近く待ったうえにさらに30分追加されるわけだから、合計1時間近く待つことになる。
  • 同じ運転手に、一度は降車ドアを開けてもらえず、一度は降車ベルを無視されバス停を通過された。二度とも大声で怒鳴って意地でも降りたが。この運転手は始発のバス停にもいつも遅れてくる。
  地下鉄
  • 運転が荒い。というか、下手。駅に入線して、一度で停まれる確率は6割くらい。停車位置を調整するために何度も、ちょっと動いてはまた停まる、を繰り返す。
  • ピーク時間帯の時刻表がない(時刻表には、5-7分間隔で運行します、とだけ書いてある)。ピーク時はいつもの1.2倍くらいの時間がかかり、急いでいる時ほど遅れる。入線にあんなに手間取ってるところを見ると、さばき切れていないことが容易に想像できる。
  • 車体が常に微妙にダッチロールしている(コストダウンの影響で車体も安物?あるいは線路幅を狭くし過ぎた?)。元々車酔いなど一切しないタチだが、後ろ向きに座って本を読もうとしたら一発で酔った(予習量がハンパないので、読まないという選択肢は無い)。
  • こんなクオリティなのに、信じられないくらい運賃が高い。私は毎日、12ドル(メトロ10ドル+バス2ドル)も払っている。定期はない。学割もない。




プレイバック秋学期(3) カルチャーショック・授業編

留学なんだから、ゼンブ英語で勉強すればいいじゃん――と思ってたのが、まず間違いだった。学部の専攻や前職のバックグラウンドが同系統ならまだあり得たかもしれないが、全くの初学者には無理な相談であった。

というのも、授業では基本的に教えてくれない。

まともにやったら毎日100ページを超えるような予習が課される。授業では読んできたかどうかを試すようなコールド・コール(名指しで発言を求められる。回答できないとかなり気まずい)がある。最初の頃、おいおい、それ教えるのがアンタの役割やろ・・・と教授に突っ込みたくなったが、周りは誰も文句を言っていないので、どうやらそれが普通のことらしい。むちゃな・・・

さらに、教科書も分かりづらい。

例え話がいくつも出てくるばかりで、コンパクトにポイントを押さえた記述というのが見当たらない。最悪の場合は、そんな書き方をしておいて索引が付いていないものまであった。あまりに使いづらくて、宿題で頻繁に参照する必要があった統計以外はほとんど開きすらしなかった。買うんじゃなかった、とういレベルだ(1冊150ドル前後)。

さすがにこれはマズイと気付き、日本から本を送ってもらった。

正直、まだ最初だし、そんなに難しいことをやっているワケではないのだ。市販の実用書で十分太刀打ち出来るレベルーーなのに、どうして分かるように教えてくれないのか。でも、文句を言うヒマもない、それがMBA。今学期は帰りのバスの時間の関係で一切利用できなかったが、もう少し時間の自由が効くようになったら授業以外にもチューターを利用することも一案ではある。ただ、授業を受けた後でも日本語ですら質問できないような理解レベルの時は、追加措置が必ずしも効果的とは限らないと思う。いずれにしても自分の頭できちんと理解するしかないんだから。











プレイバック秋学期(2) 季節


 
紅葉が終わったと思ったら、今度は雪。





バス待ちの時の気温、-3度。バスは平日のピーク時間帯(6時から8時半、16時から20時半)に、1時間2本だけ走っている。必然的に待ち時間が長くなる。雨でも雪でも暑くても寒くても。


朝、バス停から。試験の日はいつもより遅めだから明るくなっていた。
いつものバス待ちは真っ暗だ。


プレイバック秋学期(1) 季節



何年振りかも思い出せないほど、久しぶりに紅葉を見た秋だった。
















期末試験終了

昨日、最後の試験科目Accountingを終えて、あっという間に1年次秋学期が終了。1つ1つ思い返すと長かった気もするが、常に追われていたせいか、聞かれると「あっという間」と答えてしまう。すでに払ってしまった学費の金額を思い浮かべ、見合う成果があっただろうかと自問してみる。

やっと時間が取れるから、ブログの再・引っ越しでもしよう。



 



試験後、打ち上げの帰り。ほろ酔いのKey Bridgeから。






2013年12月20日金曜日

期末試験中

とりあえず、広告を消すために更新。旧サイトは一昨日サービスが停止したはずだが、まだ閲覧は可能のようだ。ここは写真を載せようとすると勝手に横を向くなど不都合が多いので、試験が終わったらもうちょい使い勝手のよいところを探したい。

2013年11月20日水曜日

ブログ引っ越し作業中

DTIブログの突然の閉鎖に伴い、とりあえずクリック一発で引っ越せるFC2に越してきた。が、1回目は100以上の記事がインポートされず、2回目は(1回目にはインポート出来ていた)最近のコメントが消えてしまった。まだ1か月ほど時間があるので、これから何回か繰り返して完全引っ越しを目指すつもりだが、しばらくはガタガタすると思う。悪しからず&今後ともよろしくお願いします。

※2013年11月19日追記
「最近のコメント」欄に表示されないコメントは、表示されないだけで消えてしまったわけではないことが判明。過去の記事を見ていて気付いた。なら、現状とりあえず記事はゼンブ取り込めてるし、また新たにインポートし直して記事が消えてしまうリスクを取るよりは、このままでもいいかなーという気がしている。せっかくコメント下さったのに、表示されなていない皆様、御免なさい。

2013年10月24日木曜日

そりゃないわ

ある日、このブログの管理画面を開いたら、『12月中旬にブログサービスが終了し、データはすべて消滅します』となむ。えらい一方的だな。試験が終わってからもやることが山積みなのだが、ブログの引っ越しという手間がかかりそうな課題がひとつ増えた。

2013年10月21日月曜日

冬が来る

来週後半の最低気温が1度、2度となってて思わず二度見してしまった…寒過ぎやろ…極寒の試験ウィークへ。

2013年10月19日土曜日

理想の一日

中間試験に向け、試験休みの初日。朝、8時半のバスに乗ってキャンパスに着くのが10時前。プールでひと泳ぎしてから人に会うため世銀へ。ネットワーキングランチの後、別の国際機関のインフォセッションに出るためジョージワシントン大学へ。空き時間はコーヒーをすすりながら試験勉強。午後7時前のバスに飛び乗って帰ってきた。いつもこのくらいのんびりしてたらいいのだけれど。

2013年10月7日月曜日

遠景




Key Bridegeから キャンパスを望む





今週は土日も講習で学校へ。

スクールバスが無い、かつ、ラップトップ不要の日。

久しぶりにカメラを持って出た。




普段は重たい荷物を担いでいるので、重量・容量ともにカメラの携帯は難しい。また、駅からキャンパスまで歩こうという発想にもならない。今日は、文字通り、はじめて訪れた歩くチャンスだった。

2013年10月1日火曜日

肖像画



餞別の贈り物が届いてますけど、どうしますー?
――ウガンダの元職場から連絡があった。

離任後3カ月もたつのに、最近届いたんだそうだ。





えーーっと…でかくね(笑?
端っこに映り込んだ扇風機と較べてみてね)



さすがに送れる大きさではないが、かといって贈り物をもらったそばから処分するってのもアレだし、結局、喜んでもらってくれそうなアイバン君に引き取ってもらうことにした。曰く、君んちにあったTVより大きいよ~!となむ。そんなでかいもの、居間に飾らんといておくれ~。

2013年9月30日月曜日

リアル

ナイロビのモール襲撃事件から1週間がたった。現地駐在外国人が週末ショッピングモールに出かけ買い物や娯楽に興じる様子というのは、私にとってついこの間まで日常風景。状況がリアルに想像できて戦慄を覚えた。

2013年9月24日火曜日

イタリア

学校のメールはGmailのシステムを使っているのだが、ノートパソコンからアクセスする時だけ、なぜか毎回イタリア語のログインページが表示される。手動で日本語や英語に直してもダメ。このパソコンの一体どこにイタリア語に誘導したくなる要素があるのだろう?

2013年9月19日木曜日

寒っ

ここ数日、いきなり朝晩の気温が10度を切るようになりびっくり。先週は30度越えの日も何日かあったというのに、ひと晩で季節が変わった。

2013年9月17日火曜日

何度目

まだテロかどうかは分からないが、ワシントンDCのネイビー・ヤードで銃撃戦とのニュース。昼頃大使館からのメールで知った。行く先々でテロが起きるため前職場で『テロを呼ぶ女』との有難くない呼び名まで頂戴していたのだが、実際に巻き込まれたことは今まで一度もなくただただ(悪)運の強さに感謝。

2013年9月14日土曜日

電卓

関数電卓と金融電卓が別物だということに授業中に気付いて冷や汗。

2013年9月10日火曜日

プロトコル

YouTubeのストリーム中継でIOC総会を見物。結果的に勝負を分けたと評判の最終プレゼンは、冒頭の高円宮妃が素晴らしかったと思う。色々な事情があったらしいから、苦々しい思いで観ていた人たちもあったのだろうが、ロイヤルファミリーってああいう場のある意味「プロ」なんだなと再認識させられた。「プロ」と言えば、しゃべった内容は別にして、安倍総理もさすがに政治家だなと思わせる話し方だった。

身振り手振りや視線の置き方、身のこなし、表情の作り方――フロアやTVカメラの向こう側に自分がどう映っているのかを意識した上で振る舞うのが「プロ」だと思う。

そういう意味で、英語がたどたどしいのは別に問題じゃないと思うが、厭味ったらしく聞こえるのはまずい。都知事は、負けたらコレのせいだと断じたくなるほどひどかった。相当練習して臨んでいるハズだが、ここに至るまでのこの人の失言などを考えるにつけ、人柄まではごまかせないものだなと思った。


◆ ◆ ◆

弱点を逆手に取ったのは汚染水の件だけではなかった(その汚染水は早速電力会社が婉曲に否定するなど、言い過ぎだった感が漂い始めているが)。東京のプレゼンで思わず苦笑いしてしまったのが、『東京は若者人口が世界で一番多い地域の中心にあります』というくだり――日本は世界有数の高齢化社会だというのに(そして、内向きニッポン人のいったいどれだけがアジアの――いわんや国際社会の――いち員という自覚を持っているか甚だ疑わしい中)、いきなり『アジア』を引っ張り出してきたのは、さすがに都合良すぎな印象を受けた。

2013年9月3日火曜日

新聞

ウォールストリート・ジャーナルの年間購読料は、学生であると証明できればWeb版と個別配送を合わせてたったの100ドルだ。信じられないほど安い。店頭で買えば1部2ドルほどだから、迷わず定期購読したくなる。しかも、Web版では日本語かつ日本関連情報を集約した日本版WSJを読むことも出来る。

それに引き換え、日本の大手新聞は軒並み一律月額4000円(=年間4万8000円)程度。せめてWeb版だけでも安くしたらいいのに――紙代も配達代も浮いてるってのに、工夫のない値段設定だと思う。海外生活7年目になるが、今まで一度たりとて「購読しようか…」と迷ったことすらない。

2013年8月28日水曜日

学び舎



校舎は確か、出来て2-3年だったと思う。

文化財並みの建物に囲まれ、一際目立つ。





ちょっと成金趣味なのが、B-schoolっぽい?(笑

毎日ここで戦ってます。




…て、たったひと言アップする時間すら取れない日々だが、来てからずっと涼しいこともあり、まずまず元気に過ごせていると思う。

2013年8月18日日曜日

金メダル再び

朝起きたら、世界陸上男子マラソンでウガンダのスティーブン・キプロティチ選手が再び優勝したとのニュースにびっくり。すげーーー!!!ロンドン五輪に勝った時は嬉しかったけど、どちらかと言うとまぐれだと思ってた。が、今日の走りを見るにつけ凄いレース巧者なんだというが分かった。ウガンダ人らしからぬ。

昼にはアイバン君から電話がかかってきた。今回はケニアの放送局KTVがLIVE中継していたので、ちゃんと観れたのだそう。「日本の選手もねー、結構頑張ってたよ~」と教えてくれた。

2013年8月11日日曜日

MLB再び

オリエンテーション最終日、メジャーリーグ観戦のタダ券が配られた。誰かが「タダじゃないよ、あの高い授業料から出てるんだから」と言ってたが、全くそのとおりだ。行かなきゃ損である。



ワシントンDCはナショナルズの地元。





湿度が高く、ビールのおいしい夜だった。




留学生のほとんどが、野球初観戦だった。プレーボールと同時に「今、何が起きてるんだ?」と質問攻めにあい、観戦どころではなかった(笑 野球のルールを英語で説明しようとしたのは初めてではなかったが、毎回自分で自分の説明が分かりにくいなと思うのがオチである。ドイツ人の同級生には「で、野球の何が面白いのか教えてくれ」と言われる始末。

途中で帰る同級生も多い中、最後まで熱心に観ていたのはインド人たちだった。インドはクリケット大国だから、起源が同じ野球には馴染みやすかったのかなと思った。

2013年8月9日金曜日

始まった

月曜に留学生オリエンテーション。火曜から全体のオリエンテーションが始まった。初日が遠い昔に感じるほど長い1週間だ。

学年270人。うち留学生35%、38か国から。うち中国人35人。インド人20人。韓国、台湾が7人ずつで続く。行けば誰かいるやろ~!と軽く考えていた日本人は、何と私1人だけと判明。いやー、初日から衝撃だったわ。朝から、名簿の国籍欄を3回も見直したし(笑

すぐに顔見知りになったのは、日本に留学して以来10年以上ずっと日本で働いていたという日本語ほぼネイティブの中国人。見た目からして私より日本人っぽい(笑 そしてフィリピン人。こちらがお国から1人だけと知って、気を遣ってくれているんだと思う。1コ上の学年も日本人は1人だけとのことで、その1人とは2日目にたまたま通りすがりに会うことが出来た。

今日はパナマ人の同級生に「面接の時に会ったね!」と言われてビックリした。私は何も覚えておらず、特に誰かと話した記憶も無かったので全力で否定しかけたが、どうやら学校見学を一緒にしたメンバーだったようだ。


『唯一の日本人で、アフリカから来た』
と言えば、たいてい印象に残るのだろう。名前で呼ばれることが日に日に増えているのは間違いないが、こちらの記憶がさっぱり追いつかない。黒人のときもそうだったが、白人も案外全部同じに見えるものだなと思った。向こうも、多分東アジアは全部一緒に見えているハズなんだけど。

2013年8月2日金曜日

遭遇

携帯を買いに行ったら、たまたまアテンドしてくれた店員がウガンダ人だった(笑 フィリピン人はそこらじゅうで見かけるけど、まさかこんなに早くウガンダ人にも遭遇するとは。

2013年8月1日木曜日

次へ



正門前の建物は、19世紀に建てられたたらしい。

建学は18世紀末。




やっと着いた。




2013年7月28日日曜日

ビザ取得

月曜日に日帰りで在大阪米国領事館へインタビューを受けに行き、水曜日の午後には無事ビザが貼ってあるパスポートが返送されてきた。事前に聞いていた「2‐3日で出る」との噂は本当だった。

というわけで、予定通り29日に成田を発つ。

2013年7月17日水曜日

渡米予定

成田発7月29日(月)の航空券を手配した。さて、予定通り飛び立てるか。

2013年7月15日月曜日

にほんのなつ

こんなに暑いんだったか…?今、一瞬ニートなのを幸いに、特に用がない限り昼間の外出自粛中。フィリピンの乾季を思い出す。

2013年7月4日木曜日

ビザ

ビザ申請手続きが、受験出願書類なみに面倒だ。辟易。渡航日は7月28日を第一候補に調整する。

2013年6月27日木曜日

晴れ間



ああ、そうだ。こんな感じだったっけ。



都心の夏。



近すぎる取っ手



不良品かなあ、と母が言い。



そりゃまあ、先進的デザインにしちゃあ、注ぎにくい。
そうやろー間違いないわ、と返事した。



2013年6月21日金曜日

帰国

まだ時差ボケが抜けないが、日曜に無事帰国した。

2013年6月16日日曜日

さよならウガンダ

49%のしんみりと51%の安堵感で、今日ウガンダを離任――出発当日の朝まで「本当に飛び立てるのか?」と周りに心配されるくらい片付いていなかったのだが、いつものようにまあ何とかなった。たとえ感慨深くても出来るだけ飄々と、かつ淡々としていたいから、泣く元気も無いくらいに疲れている方が良かったりするのだ。ちなみに、今回ははじめてドーハ経由なのだが、乗継が8時間もあるため、さらに疲れること間違いなし。今やっと半分たったところだ。


出発の朝、空港近くのいつもの場所で朝ごはん。
さみしい、さみしいと言いながら山盛り食べてたな、アイバン。

絶対泣く!病気になる!!と言っていたが、
さっき電話したら十分元気そうだった(笑

2013年6月12日水曜日

最後の日々

郵送荷物をすべて送り出した日の夜、カウンターパートから大っきなバッグを頂戴した。いつかきっと、この間の悪さも懐かしくなる日が来るんだな。サヨナラを言う表敬訪問が最後まで続く。




もちろん抱えて
持って帰りますとも。



2013年6月9日日曜日

最後のお願い

せめて写真をください、と言われた(笑


写真立てはどのタイプがいいか、とか。
時間をかけて作戦を立てていた模様。

・・・の割に、口が半開きのアイバン君。

わざわざ街角のスタジオに出かけて撮るというので、どんな格好で行けばいいのかと聞いたら、「スーツで」となむ。緊張したのか、撮ったあと、その日の夕方から腸チフスになっちゃったアイバン君であった。今後は、すでに着任した私の後任の運転手を務める。

2013年5月31日金曜日

ムランビ

20年近く抱き続けた先入観と向き合う日――ジェノサイド・メモリアルを初めて訪れた。この狭い国土に200か所以上というから、文字通り「そこらじゅう」に追悼施設がある。そのほとんどが、実際に虐殺が行われた現場に、時として現場を保存する形で、建てられている。今回は、南部ギコンゴロ県ムランビの丘というところに行ってきた。

※以下、便宜上ツチ、フツという言葉を使うが、現在はこうした分類を行うこと自体が禁じられており、ましてルワンダ国内で外国人が軽はずみに口にすることはマナー上あり得ない。



正面の建物は展示施設で、2010年末にオープンしたもの。
虐殺に至る歴史的背景がパネル展示されている。

どうしても、当時の主な被害者たるツチの史観とういことになるが。)



左奥に小さく見える建物は当時、建設中の学校だった。
現在ここに、約400体のご遺体が“公開”されている。


キガリで大虐殺が始まると、その動きは瞬く間に地方部にも広がったと言われている。展示パネルによれば、当時危険を感じ避難を始めた人々に対し、地元当局はこの丘が「唯一保護が可能な場所」として喧伝したのだという。そのため、遠方からの避難者も含め5万人が集まった。そしてある晩、十分に集まったと判断したのであろう。施設は武装勢力に包囲され、最初は銃の掃射と手榴弾で、小休止後、ナタでひとりひとり致命傷を負わされていった。後に、この丘は最初からそうするつもりで選ばれたのであり、周囲の丘より一段低い位置にあるムランビの丘は『最適の』場所であったのだと言われるようになった。


◆ ◆ ◆



虐殺に至る歴史的背景について、これまでも何度か目にする機会があったが、今回あらためて学び直す機会となった。展示パネルの説明は、おそらくルワンダ現政権下の「公式史観」であると推測されるため受け売りにすることは出来ないが、言葉の端々に『和解』を意識したのだろうと思われる意図が感じられ、これはこれでひとつの貴重な史料だなと思わされる。以下いくつか、目に付いた事項をピックアップしてみたい。

【ツチ、フツ、フツ過激派】
この虐殺は、シンプルに「フツがツチを虐殺した」と説明されることが一般的かと思うが、展示パネルやガイドのお兄さんの話では「フツ」と「フツ過激派(extremist Hutu)」を、意識的かつ慎重に、使い分けていた。2つの理由が想像できた。

1つは、被害者の数という意味ではツチにおよばないものの、かなりの数の「穏健派フツ」と呼ばれる人々も犠牲になったという事実を踏まえているのだろう。従来よく聞いた説明では、多数派(全国民の約8割)のフツが、メディアリテラシーもない権力盲従の人々だったため、ラジオ放送等のプロパガンダに乗せられ隣人を殺戮する殺人鬼と化した、というものだった。これに対し展示パネルでは、過激派フツの核となる権力者たちがいたこと、彼らが中心になって組織した民兵組織(いわゆるインタハムウェ等)がかなりの数に上っていたこと(Wikiによれば3万人)、市井のフツの人々は殺戮に加担しなければ裏切り者として殺すと脅されていたこと(たとえば、反ツチ・プロパガンダの典型とされる『フツの十戒』)を指摘し、ルワンダ人の中の責任はほぼ過激派フツに集約される構図を描く。

実際、政治的にはツチを攻撃しつつも「皆殺し」や「虐殺」には反対していたフツの閣僚級の政治家もいたが、虐殺開始後すぐに軍や大統領警備隊に殺されてしまった。また、展示パネルには、良心からツチをかくまったフツ女性が、フツ過激派にその事実を知られ命からがら難民キャンプへ逃げたとの話が載っていた。フツの中にも攻撃対象はいたのだ。

2つ目は、そうした事実も踏まえながら、多数派のフツを十把一絡げに断罪してしまうと国が持たない、という現実的な判断も働いていると思われる。そうは言っても、親兄弟家族を殺されたツチの人々にとって、フツの人々に対する抜きがたい不信感と制裁感情は当然あるだろうと思われる。「悪かったのは過激派フツであり、一般のフツは悪くない、ひょっとしたら被害者だったかも」というストーリーが、加害者と被害者が同じ村で暮らしていくためには必要だったのだろう。



◆ ◆ ◆


ところで、国民和解のために、内の責任所在を限定するのと同時に、外へ批判の矛先を向けさせるのは古今東西の常套手段といっていいと思うが、1994年の虐殺についての典型的な諸外国批判には、個人的に妥当だと思うものと、ちょっと言い過ぎではないかと感じられるものが混在しているように思う。


【ベルギー批判】
まずは批判されるのは、争いのそもそもの火種をまいた植民地支配者たるベルギーだ。フツとツチ。“ハム仮説”がエセ科学であることは今では常識だが、20世紀初頭は広く信じられていた。だらか、フツとツチを曖昧な定義と薄弱な根拠で分けたこと自体は時代背景から批判できないのかもしれないが、現在ではフツもツチも元々同じ民族だったのではないかと考えられている。問題は少数派のツチを露骨に優遇し、フツには教育の機会さえ与えないという、支配のみを目的とした植民地経営を行ったことだ。さらにタチの悪いことに、独立の気配が濃厚になった1950年代末頃になると、あっさりツチからフツに乗り換え、フツの味方をするようになる。同時期に、ツチとフツの民族感情に起因する最初の暴力事件が起きている。植民地経営のためにつくり出され、あおられ続けた対立感情、不信感、憎悪が虐殺の素地を成していたことは疑う余地がないだろう。より直接的には、ベルギー植民政府が1930年代に始めたIDカード制度が、1994年の虐殺において殺す「根拠」となった。


【国連、米国批判】
後に、ルワンダ虐殺と旧ユーゴ紛争はほぼ同期に起き、どちらも凄惨な民族浄化が行われていたにもかかわらず、国際社会の対応が劇的なまでに違ったとして批判の対象となった。国連は1994年当時、国連ルワンダ支援団という平和維持部隊を駐留させており、虐殺が始まる3カ月前には民兵が武器を集めいていることを知っていた。現地の司令官はニューヨークへ、この武器庫を襲撃する提案までしていたが、PKO担当国連事務次長はこれを却下した。後の国連事務総長コフィ・アナンである。一方、安全保障理事会でもルワンダ問題は取り上げられたが、積極関与させまいと精力的に動いたのが米国だった。当時、米国指導者たちがルワンダで起きている事案を頑なに「ジェノサイド」と呼ばなかったことは、今や悪名高き逸話となっている。ジェノサイド条約批准国として行動する義務を回避するためだったと言われている。彼らは、事態が収束に向かいだした6月以降、堂々とジェノサイドと口にするようになった。

確かに、恥を知れと言いたくなるような経緯だと思う。虐殺を止められないまでも、被害をもっとずっと小さく抑える機会が複数あったのは確かだ。だが一方で、一国の国内で起きている殺し合いについて、国連は非難されているほどの責めを負うべき存在なのだろうか、とも思う。個人的にこの件は、旧ユーゴ紛争との対比があるから問題なのであって、武力紛争の真っただ中に割って入るのは本来の国連の役割から言っても、また実際のキャパから言っても、過大要求であるように感じる。


【フランス批判】
ちょっと意外だったのは、ガイドのお兄さんがとりわけ口先を尖らせて毒づいたのは、ベルギーでも、アメリカでも、国連でもなく、フランスに対してだったこと。曰く「あいつらフツをかくまったんだ、死体の上でバレーボールをしたんだ、だいたいフツの民兵を訓練したのだってフランス軍だったんだ」となむ。ガイド君は若く見えたので、最初は虐殺を直接経験した世代なのかどうかも分からなかったのだが、実際は38歳で、1万人以上が犠牲になったニャマタの虐殺の生存者だった。その彼の怒りが、フランスに向いていた。

展示パネルや、後からネットで調べた話を総合すると、独立後のルワンダ政権(フツ)は、旧宗主国のベルギーを牽制する意味もあり、フランスに近づいた。フランス側にとっても、北アフリカの既得権益を手ひどく失った直後の時期にあたり、ルワンダを支援する意味は十分にあったのだろう。そうして政権の座にあるフツ勢力とフランスは、援助する側・される側によく見られるズブズブの関係となり、軍だけでなくフツ民兵にも武器を与え、訓練していたと言われている(当然、フランスは公式に認めていないので、確かな史実ではなまだないが)。フランスは、フツ過激派の中心人物の1人と目されていたハビャリマナ大統領夫人を真っ先に亡命させたし、6月末に「トルコ石作戦」として軍を送った際にも虐殺に関わったフツを隣国に逃がし、さらなるツチの虐殺を招くなどしたため、全体に評判がよくない。

ガイド君の言っていた「バレーボール」とは、虐殺者たちがメディアに向かって「ここで虐殺など起きていません」とアピールし、その証拠にフランス軍も楽しそうに遊んでいるとして、バレーボールをしているフランス人兵士たちが映されたのだそうだ。つまり、虐殺の隠蔽に加担したということだ。おそらく、死体はすでに埋められていたであろうから、ガイド君の言うように死体の「上で」(on the bodies)プレーしたわけではなかろうと思うが、おびただしい人の血がしみ込んだ校庭での出来事であることに違いはなく、多くの人にとって許しがたい行為だったことが容易に想像できる。現場には今も、フランス軍はここでバレーボールをしました、というプレートが残されている。

◆ ◆ ◆

メモリアルに行ってきました、として、残された血痕や衣服や死体の視覚的な画や、あたりに立ちこめる吐き気を誘うような臭いについて描写をするのもひとつだとは思う(なにも死体まで“展示”しなくていいのに、と個人的には思うが)。そこに生じる生々しい恐怖感こそが、新たな争いを起こそうとする人間を躊躇させるのだと思うし。だが、実際は、どんなにそれが凄惨で狂気で残酷なことであると分かっていても、虐殺は人類史上繰り返し起きてきたし、もう起きないという実感は残念がら持てたことがない。
「どうしてこんなことが起きたのだろう?」ゴリラに会っている時も、美しい丘を眺めている時も、キガリの街並みをドライブしている時も、ずっと疑問が頭の隅から離れない。理性や恐怖をもって歯止めにならないのであれば、せめて背後にある力学だけでも解明できないのか。誰がこの状況をつくり出し、利用したのか。踊らされて殺人者となった者すべてが異常者だったとは限らない。むしろ、普通の市井の人がナタを持って襲い掛かってくるから恐怖なのだ。その意味では、被害者のみに思いを致し同情や哀悼の意を持つだけでは不十分で、加害者に何が起きたのか、どうして加害者になってしまったのかということも、いつか解き明かされなければならないと思う。ルワンダで感じた恐怖感は、非人間的な殺戮への戦慄だけでなく、市井の人がそんな非人間的な殺戮者に成り得たということはつまり、私自身がそうならないと言い切ることは実はできないのだということにもあった。いつか踊らされそうになった時、それを自覚し拒否できる人間でありたいと切に願う。

ルワンダ

最初にゴリラのことを書いたのは、時系列順だからというのもあるが、ささやかな自戒の意味もこめたつもりだ。アフリカを紛争、難民、飢餓というキーワードからしか見ないステレオタイプは断固拒否してきたはずなのに、『ルワンダ』と聞いたとき、1994年の虐殺以外に――以上に――思い浮かぶものがなかった。昨年出張で初めてキガリを訪れた際も、今回も、そのことを意識しない瞬間というのはほとんどなかったと認めざるを得ない。




こんな緑豊かな丘を見て、





人口密度が高いな、とか思ってしまうのだ。
丘の上の方まで農耕地になっているから)





ルワンダは四国と同じくらいの面積に、
四国の3倍の人口が暮らす、アフリカいち人口密度の高い国だ。




キガリの住宅地。






ルワンダのインフラは手入れが行き届いている。

アフリカとは思えない道路。



穴(ポットホール)がない、白線が見える、
路面が滑らか、路肩が崩れていない。

全部、私にとっては非日常だ。




街灯がついていると、
こんなに明るいんだったっけ。


そして、よく「整備」されているね、と言うかわりに
よく「統制」されているね、とか言いそうになる。

警官の汚職がないことでも知られている。





2013年5月30日木曜日

ゴリ









ども、シルバーバックです。




マウンテンゴリラって意外と希少種なのだ。
『必ず見れる』と評判のルワンダ側からアプローチ。


予想以上にしっかりトレッキングだった。
急登→湿地→急登。写真奥の尾根もこのあと登ることに。
歩き始めて3時間、急斜面のヤブ漕ぎにも飽きてきた頃――
突然。
ママゴリラが目の前に降りてきた。
7メートル以内に近づいてはいけないと注意されていたのに、いきなり1メートルもない距離に寄って来られたので軽くパニック。大声で聞いていいのかも分からず、とりあえず後ずさりした私。びくびくオドオドした最初の遭遇だった。


行く手をふさがれたので、しばしフォトタイムに。
距離感、伝わるかな。

赤ちゃんを抱えていたからビビったのよね。
どんな動物も、赤ん坊と一緒だと攻撃的になるものだから。
よく見たら、すぐそばで
別の2頭がムシャムシャしてた。

左のおっきいのが、群れのボス、
いわゆるシルバーバックです、となむ。



リアルな指に、つぶらな瞳。
カメラはシルバーバック祭りに突入(笑
ゴリラキッズは竹林を飛び跳ねて
遊んでいた。シャッタースピードが追い付かない。



考え中。

ゴリラってゆったら胸をたたく姿が思い浮かぶと思う。
あれ、本当にするんだって初めて知った。
森のあちこちからトントントントンって音が聞こえてくる。
足がかゆいの。

股もかゆいの。

やがて仲間を引き連れ山に戻っていく、
貫禄のシルバーバック。


期待をはるかに上回る満足感だったのは、やっぱりゴリラがどこか人間に親近感を抱かせるからなのか。あるいは、ちょっとしんどめだったが、久しぶりの山歩きが心地よかったからってのもあったのかな。

2013年5月18日土曜日

ネテマテ

期間限定東京一人暮らしを満喫しようと、住まいと家具を探し始めていた矢先、1ポチ目から繰り上げ合格の知らせがあった。

7月末から2年間、ワシントンDCに留学する。

東京で職を得るために1件応募書類を送った以外はふて寝の日々だった。待ってたというより諦めてたという方が正しいが、結果的にカホウは寝てる時に届いた。
行き先はジョージタウンのビジネススクール。伝統的に外交学部など政治学系が強いことで有名な大学だが、ビジネススクールはまだ新しい。その分、特色をはっきり打ち出しており、大学の強味と知名度を反映したようなPublic、Globalといったキーワードを掲げていたり、学生の1割程度が政府系から来ていたりするという、一風変わったビジネススクールだ。が、私個人の関心には合致していると判断している。DCというロケーションも、国際開発の志向を残したまま就活するのであれば、間違いなくプラスだ。

2013年5月4日土曜日

低頭傾首

ネタかと思うような史上最低の一日。
普段は喜怒哀楽の喜と楽しか書かないポリシーだが、破って書く。

※ 続きはいつもに輪をかけ下らない。

◆ ◆ ◆

【衝撃その1】
来てからずっと関わってきたデカい仕事が、今、目の前で倒れつつある。
信頼関係ぶち壊しな事態が、また。
【衝撃その2】
4ポチ目も不合格だった。1年4か月にわたる受験生活は収穫ないまま幕を閉じる。正直どっと疲労感があり、いったん(一瞬)日本に戻って働こうかとも考えている。
【衝撃その3】
ナイジェリア人元彼の“わたしたちケッコンします”サイトを偶然発見してしまった。(こんなもんわざわざネット上に残すなよ、という突っ込みは当然ありつつ)そろそろそんな頃かなとは思っていた。が、ご丁寧に書き添えられた馴れ初めを見たら、そろそろどころか出会いから結婚までが、私が付き合っていた(…と思っていた)時期とほぼ丸かぶりだった。FBIみたいな仕事だから結婚は無理、と言って振った直後にプロポーズ、となむ。残酷だよなあ。
◆ ◆ ◆

徒労。何年か分の過去が泡になって消えた一日。
週末はさすがにうなだれて過ごす。

2013年5月3日金曜日

『Iron Lady』

いつもの衛星チャンネルで今年に入ってから繰り返し放送されていたので、亡くなった時はムシの報せだったかと驚いた。現役時代がまだ同時代と呼びうる範囲なので、ダイジェスト的な見せ方の方が受けるし、そうせざるを得ない部分もあっただろう。赤裸々な政治闘争を描くには存命中の関係者が多過ぎるに違いない。でも、もし、『Lincoln』のようなストーリー展開が可能だったら、もっと強烈な鉄女っぷりが描けたんだろうなあ。

2013年5月2日木曜日

鬱憤

スペインの失業率が過去最悪を更新し27.2%となった、てなニュースが2,3日前にあった。そんな時にサッカーまでこれじゃ、ストレス溜まりそうだと心配になる。

おいおい

シャワー室のタンクから水漏れしとるな。これは明日起きたら水浸しか?

休日

日本の連休の谷間の日、ウガンダはメーデーでお休みだった。
ビールも注いで、CL観戦スタンバイOK。

欧州サッカーを観るようになったのも、大きな試合は必ず自宅観戦するようになったのも、考えてみればこの3年で身に付いた習慣だ。

2013年4月30日火曜日

侵入者

蚊帳の中に蚊、羽音と闘う午前4時半。

2013年4月29日月曜日

わざわい

iPadが顔面を直撃、傷痕に口内炎ができた。数日たってもなかなか治りそうにないので調べてみたら、イソジンでうがいが効くそうな。実際、24時間でほぼ治った。

そもそも寝っ転がってiPadを見てたのが災いの元なわけだが。

2013年4月23日火曜日

停電は騒音なり

ここ1か月ほど、長時間の停電が増えている。アパートには備え付けの発電機があるので電気が途絶えることはないが、オンボロかつ置く場所が悪いせいか、室内での会話が難しいほどの轟音だ。また、隣のビルの発電機はもうちょい静かなのだか、系統が違うのかほぼ24時間稼働していて終日低周波音を垂れ流す。いっそ電気がなくても静かな方がマシではないかと思うが、アパート全体のことなので拒否できない。離任まで、電力不足にはならないと思ってたんだけど。

2013年4月22日月曜日

片道30時間

無事ウガンダに戻って来た。機上ではぐっすり眠れない派ゆえ、丸1日以上、ぼーーっとはしているけれど起きている状態が続いた。たまにものを読むこともあるが、ほとんど音楽を聴いているか、映画を観ているか、である。

今回は再見も含め、全部で4本観たのかな。

『ARGO』
歴史ものはツボに入りやすいからな、と思ってたら、オスカー獲ってたんだ、これ。知らなかった。細かなセリフを確認したくて、英語と日本語吹き替えで二度観た。イスラム圏で仕事をしたいと思ったことがなく、イランには行ったこともないが、制作側がイラン革命当時のテヘランの街の雰囲気を出そうと心を砕いたのであろうことはよく伝わってきた。話の筋は、当時はカナダ政府の尽力により成功したと思われていた6人の脱出が、実はCIAの手柄によるものでした、という、ある程度観る側が経緯を記憶していることを前提としながら裏話を明かすような趣向だ。

自宅に戻ってから史実を調べてみた。案の定、カナダにはカナダ政府が果たした重要な役割がほとんど描かれていないことに憤っている人もいるようだし、映画の最大の見せ場である空港のシーンはほぼ全部フィクションとのことだ。そういう作為は、ハリウッド映画である以上、初見の際からある程度想定しながら観ていたが、私はむしろ、イラン人にちゃんとペルシャ語をしゃべらせ、冒頭シーンで何故人々がアメリカに対して怒っているのかを淡々と説明したことに、新鮮な驚きを覚えた。ハリウッドにかかれば、ヒトラーだって英語をしゃべるのが当たり前なのだから。

そんな虚実の見比べはさておき、二点、印象に残ったことを。一つは、カナダ人ならいいんだ?ということだ。アメリカ人なら捕まって処刑されるのに、カナダ人なら堂々と出国できる、という状況に、不謹慎ながら滑稽味さえ感じた。両者の一体どこが違うというのだろうか?虐殺然り、難民然り、人を帰属のみでしか見れなくなった時、その先にあるのはいつも狂気だけだ。二つめは、空港の緊張感。イミグレは末端役人の小遣い稼ぎの場であることも多く、特にやましいことがなくても、嫌がらせへの警戒心なしには通れない。そんな嫌な緊張感を増幅させたようなクライマックスシーンが、(少々間際シーンが多くてウソっぽくなっているとは言え)やっぱり印象に残った。

粛清からの間一髪空港脱出劇と言えば、『ラスト・キング・オブ・スコットランド』に通じるものもあったかな。


『のぼうの城』
一度機上で観たことがあったが、デ○タ航空の邦画チョイスが余りに少なかったので(日本線じゃないから仕方ないんだろうけど)、やむなく再見。以前、小説をこき下ろしたが、映画の方が明らかに収まりが良かった。


『東京家族』
小津監督の『東京物語』は未見だが、それを知らなくても、現代の家族群像劇としてリラックスして観られた。後から2時間超の作品だと知ったが、時間の長さは全く気にならなかった。


『終の信託』
『東京物語』とほぼ同じ尺なのだそうだが、開始早々に眠くなり、何度も時計を確認。どんなオチなのかを確認したくて最後まで観たが、確認するほどのオチでもなかった。K○Mの邦画は2本しかなかったのだが、古くてもいいから日本を代表するような作品にしてほしい。

2013年4月16日火曜日

安着報告

フィラデルフィアで飛行機を降りたら、ボストンでテロが起きていた。私は特に影響は受けておらず、他の東海岸の都市に行く予定もない。

またしても休暇先まで追いかけてくるテロに、怒りと非難しかない。

2013年4月14日日曜日

焼きそば

最近、焼きそばといえば塩ばかりで、前々回の帰国時に買い込んできたオ○フクソースが大量に余りそうだ。根強い人気アイテムだし、引き取り手はあるだろうけど。

明日から面接で再々渡米のため、冷蔵庫一掃の焼きそばを。

2013年4月12日金曜日

世辞

もうすぐ帰るんです、と言うと、一応お約束で惜別の言葉をちょうだいする。「そんなこと言うな、俺のとこで働いたらいいじゃないか」と、ウガンダ政府機関への転職を勧められることも(笑 慣れてるなー、と思ってもつい、頬がゆるむ。こちらが何を言われたら嬉しいのかよく分かってるんだ、この人たち。

2013年4月11日木曜日

パリも

今度の飛行機はどこ?またフライ・エミレーツ?

ヨーロッパの有名クラブがいくつも、ユニフォームに『Fly Emirates』と入れているので、てっきりそれが正式名称かと思ったアイバン君。

2013年4月10日水曜日

チャンピオン

ドログバがいつの間にかトルコにいた。

2013年4月7日日曜日

ワンモアチャンス

1ポチ目が補欠待ち。2ポチ、3ポチは面接に進めず。4ポチ目の書類結果が出る日、明日から就活かなと割り切っていたのだが、面接に進めたという意外な報せがとどいた。もう終わったかと思い始めていたわけだから、与えられたチャンスを有難く思わないと。

4ポチ目の面接は今年からグループ・ディスカッションを課しており、他のトップ校にはない取り組みとしてちょっとした話題なのだそう。
元来グループ討議はどちらかというと得意だが、問題は前に前に出てくるネイティブスピーカー達に囲まれたとき、気後れせず同じパフォーマンスができるか?だ。ディベートやネゴなら、自分の意見を主張するだけでとりあえずは成り立つから、もうちょい気楽なんだけれど。聞き取れなくてもパニックにならず、流れを見失ってもシレっと発言すること。できますように、わたし。
あ、それと、今度こそ髪を切りたい。

2013年4月6日土曜日

minutes

相変わらず怪しげな日本語をしゃべりたがる、運転手のアイバン君。最近は数もだいぶ読めるようになってきて、毎日つける運行表の走行距離と時刻も日本語で。


9:21
クジ…
うん
ニジュー
うんうん
イッ……イッ…

――minuteは?

「…プフンっ!」


プンとフンって確かに紛らわしい。
迷う気持ちまでよく伝わってくる、秀逸なズルであった(笑

2013年4月5日金曜日

厚揚げ

このごろ豆腐は厚揚げにして冷凍保存。水分出して素揚げにするだけでいいということを、最近知った。

2013年4月2日火曜日

イースター休暇



草食動物ばかりで大物には会えないが、

ロッジ・ステイが大人気の国立公園へ行ってきた。





泳ぐためではなく、眺めるためのプール。

露天風呂みたいなもん。








ウォーターバックも、この国立公園では“大物”だ。











鳥の接近戦が多数。







@Lake Mburo National Park