2011年5月30日月曜日

色美人…



前にも一度紹介したけれど、青い鳥。
日没前のひと時、自宅アパート裏の木によく来る。





光を帯びた青色に思わずズームしたくなる。
が、こうして撮ってみると意外と目ん玉が大きいことに気づく。




ギョロッ。


そして前にも書いたが、啼き声がね、
カエルのようなのよ、この鳥…


グエーーッ、ギェーーーッ、ギイャーー


…つぎは声美人がいい…




2011年5月28日土曜日

晩秋

寒い。この気温、湿度、空の高さ――まさに晩秋だ。陽が落ちるとさびしい感じ、湯気立ちのぼるラーメン屋の恋しい感じ。また皆あつめて鍋でもすっかな。

昨日、ちょっと車高のある車から降りた時、お尻の肉がつった。足がつるみたいにして、尻がつった。直後はまともに歩けなかった。今日はもうだいぶ痛みも引いてきたが、周りに「尻がつっちゃってさー」と説明するのは案外難しい。

2011年5月27日金曜日

丘の上

たまたまググってたら、母校(小学校)がこの3月に統廃合されていたと知って驚いた。お隣の小学校と一緒になって、敷地は元のままながら、看板をかけかえたんだそう。創立128年、卒業生は13,213名となむ。校章は確か『大根の葉っぱ』で――地方からせっかく東京に戻ってきたというのに、大根かよ!と、転入したその日に一人突っ込みしたっけなあ(笑 そんな生意気な私も、23区の割にはどこか田舎っぽい雰囲気のおかげで、のびのびと育ったのでした。

引っ越し家族で小学校はここが3校目だったが、3つの中では最も長い期間を過ごした学校だった。姉弟3人ともが通った唯一の学校でもあった。『卒業生』としての帰属意識は特になく、中学から私立だったし、再び引越したので『地元』でもない。人のつながりもなし。という状況でも、一抹の寂しさは覚えますな。
ちなみに、あとの2校は今でもちゃんとあるみたい。

2011年5月26日木曜日

羽美人

最近、自宅アパートの裏の木に、全体に黒く、羽の裏だけ紅い鳥がやって来る。羽ばたいた時にだけ、羽の下の紅い部分がちらっと見えるのだが、チラ見でもはっきりと印象に残る鮮やかで明るい紅だ。『黒い鳥だ』と思って見てたら、実は羽の下にこんな鮮やかな色を『隠し持って』いた――と気付く時の驚きが、何とも言えない。

どうにかして激写したいのだが、たまにしか現れないうえに、飛んでる鳥を撮る難しさよ…ずっと上を向いて待つせいか、だんだん首も凝ってくるし。

2011年5月25日水曜日

歯ブラシ

だいたいモノには不自由していないが、ひとつあえて挙げるとすればコンパクトな歯ブラシが売ってない。いつもまとめて日本から持参するのだが、どうやら今回は忘れていたらしい。気付いたら在庫切れだった。

現地のスーパーで売ってる大人用歯ブラシは、ブラシ部分が「消しゴムか?」と言いたくなるくらい大きいので、やむなくお子様用を購入。毛先は細かくないし、固いし、磨き心地はイマイチだが、少なくとも頭がコンパクトでちゃんと奥まで入るからよしとする。パッケージの裏を見たら、何とイギリス製だそう。南ア系のスーパーで買ったのだが、イギリス製の製品を見かけるのって、そういえば珍しい。






左は5-7歳児用、右なんて0-2歳児用(笑




学生の頃住んでいた街にイヤな歯医者がいて、診療中に待合室まで聞こえるかと思うくらい大きな声で「あなたの歯ぐきは60代ですね!」と宣告されたことがあった。むかついたので二度とその歯医者には行かなかったが、今なら「…でも歯ブラシは5歳児です♪」と涼しげに言い返せただろうか。

2011年5月24日火曜日

第9集 ベトナムの衝撃 (1)

以前、高校生の頃、このシリーズの『第10集 民族の悲劇果てしなく』を見たことが、後に難民問題という研究テーマに取り組むきっかけとなったと書いたが、もし難民問題を取り上げていなければ、おそらく代わりに選んでいただろうと思われるのが、この回に描かれた1960年代のアメリカだ。

実際、学部に入ったばかりの頃は、アメリカ現代史の演習を受講したり、キング牧師やケネディ大統領のCD付演説集を買ってみたり(今ならYoutubeだろうけど)、マルコムXやストークリー・カーマイケルやブラックパンサーについて書かれた本を読んでみたりしたものだ。自分が学生だったからというわけでもないが、1960年代の終わりには日本の学生運動も沸点に達していたし、『みんなで何かしようよ』という雰囲気からはおよそかけ離れた空気の中で育った現代っ子として、この時代の熱気を帯びた雰囲気に単純に興味をそそられたのだと思う。

結局、1960年代に時代として興味はあるものの、何か1つをテーマとして選びだすのが難しかったこと、先行研究がすでに山ほどあるだろうこと(教授もアメリカ史の人だったし)、難民問題と天秤にかけたら、やっぱり難民問題の方がずっとおもしろそうだったこと、などから研究テーマにはならなかったわけだけだが、趣味としては、今でもたまにこの頃あった歴史上の出来事についてふと思い立って調べてみてみたりしている。

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この第9集は、ケネディ大統領就任式(1961年1月)からサイゴン陥落(1975年4月)までを取り上げているが、最後の方は端折り気味だ。また、このシリーズでは『第8集 恐怖の中の平和』で1960年の大統領選やキューバ危機を取り上げており、ケネディは前集に続いての登場となっている。この辺り、作り手の思い入れや嗜好なのか、あるいは彼を観たいと願う視聴者の目を意識したのか。

人気のある大統領、という意味では、現大統領も、就任時は近年まれにみる人気者ぶりだった(あまりの人気に当初は暗殺を心配する声すら聞かれたが、就任直後の不可解なノーベル賞受賞くらいから皆一気に冷めたのではなかろうか――『平和賞』というのはさすがに冗談が過ぎた。前任の大統領があまりに不人気だった分の反動もあったのだろう)。

ケネディ大統領とオバマ大統領、人気者の共通点と言えば、優れた演説だろう。あらためて2人の就任演説を観賞してみたが、ケネディ大統領が出だしから身を乗り出すようにして声を張り上げているのに対し、オバマ大統領は淡々として静かな印象――発する言葉に力があるという点では同じなのに、語り口調はほぼ正反対で興味深かった。

言葉に力がある、という意味では、この第9集にはキング牧師も登場する。かの有名な『I have a dream』スピーチで、"the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood"(かつての奴隷の子孫と、奴隷所有者の子孫が、いつの日か兄弟として同じテーブルにつくことができることを夢見ている;私訳)と語られてから半世紀もたたないうちに、『同じテーブル』どころか、大統領が誕生してしまうのだから、この国の変化の早さには確かに目を見張るものがある。

そのオバマ大統領は、就任演説の中で自らをこう表現している。"a man whose father less than 60 years ago might not have been served at a local restaurant can now stand before you to take a most sacred oath"(父の若い頃は黒人だという理由で地元のレストランで注文さえ取ってもらえないような時代だったのに、それから60年もたたない今日、その黒人の私が大統領職に就こうとしている;かなり意訳の私訳)彼の就任式にはキング牧師の息子が招待されていたそうだ。

オバマ大統領の主な支持層が実際どの辺りにあるのかは知らないが――もちろん、ヒスパニックをはじめとする人種マイノリティには支持されていることは想像に難くないが――何となく、1960年代に若者だった世代には色んなことを思い出させる存在なのではないかと思う時、彼らが現大統領をどれくらい支持しているのか?という興味深い疑問が沸いてくる。どこかにそんな統計はないだろうか。

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実は、オバマ大統領の就任演説のなかに、ひょっとして大統領のスピーチライターも同様のことを意識していたのではなかろうか――と、(完全に自己満足ながら)推測したくなる下りがあった。

私たちのために、私たちの先人たちは数々の戦いをし、そして散りました――コンコルドで、ゲティスバーグで、ノルマンディで、ケサンで。

レキシントン‐コンコルドは独立戦争、ゲティスバーグは南北戦争、ノルマンディは第二次世界大戦をそれぞれ指している。ここまでは分かる。が、ケサンとは何とベトナム戦争の激戦地のことだった。個人的に、ベトナム戦争はイラク戦争やアフガン戦争と同列に並べるべきものだと思っていたのだが、この国の『喉元を過ぎる』早さもまた、呆れるくらいに早いのだと思った。

2011年5月23日月曜日

遅筆

このブログを『映像の世紀20世紀』関連のキーワードで見に来てくれる人たちがいる。わりと定期的に需要があるので、所感シリーズも書き進めたいのだが、なかなか筆が進まず難儀している。今のところ残っているのは以下の回:

第2集 第一次世界大戦
第4集 ヒトラーの野望*
第7集 世界再分割
第8集 核開発競争、キューバ危機
第9集 ベトナム戦争

*『独裁者とオリンピック』としてちらっと触れたことはある

第7集、第8集は元々そんなに「好きな回」ではなく、放映当初から見直した回数も他の回に比べて圧倒的に少ない。第4集、第9集はその逆で、放映当初録画したVTRは本当にテープが擦り切れるんじゃ?と思うくらい何度も何度も見直した。つまり前者は書くネタがなくて困っており、後者はどこに焦点を当てて書けばすっきりするのかイマイチ絞りきれない。…といって、別に大した感想を書いているわけでもないけれど、ただ、このシリーズに関しては、単なる所感であっても自分の中でピンとくるものを書くことにしているので案外消耗する作業なのだ。

第2集、第9集は一度書きかけた下書きが眠っている状態。第4集は何を書いても収拾つかなくなりそうだと分かっていて、なかなか見ない(見たくない)回。第7集と第8集は、このシリーズが“間延び”している回なので、第3集と同様、前後の回にまとめてしまえば良かったのに、と今でも思う――従って、1回75分を寝ずに見るのが辛い回。

昨夜は、今度こそ更新しよう、と意を決して『第9集 ベトナムの衝撃』を観たのだが、やっぱりまとまらなくなって頓挫。一応、恥ずかしくない程度には歴史的事実の中味の確認をしてから書くことにしているのだが、昨日はケネディ大統領のことを調べ出したら止まらなくなり、随分と時間を喰ってしまった。稀代の人気大統領だった割には何かとミソが付く――という程度のことは知っていたが、実際はもっとかなりエゲツなかったようで。虚像を作り出す巧さや、そのためのメディア活用法を熟知していた点、演説が優れていた点、裏に暴力組織をちらつかせる点などは、ドイツの独裁者と比べたくなる共通点だと思った。ケネディとヒトラーを並べて論じたら、不快に思う人は多いかもしれないが。

2011年5月22日日曜日

寒い

ここのところ気温の低い日が続いている。ネットで確認する限り、17-18度はあるはずなのだが、体感はもっとずっと低い。今日は家の中で長袖の上着に靴下着用――明日も寒かったら、1枚だけあるはずのヒートテックを引っ張り出そうか。

常春の気候に慣れきった私の体は、暑いのも寒い(…涼しい?)のもNGになりつつある。

わがままだなあ。

2011年5月20日金曜日

夏休みの宿題

誰しもが、8月30日とか31日に「台風がきて休校にならないかなあ」とか「あした起きたら7月20日に戻ってないかなあ」などと、非現実的かつ他力本願な妄想をしながら、たまった絵日記を書きまくったことがあるのではないだろうか。そんなの、もちろん起きるはずもなかったのだけれど――

大人になって久しい今日、そんな妄想が現実になる体験をした。
今夜からは眠れるようになるのかな。

ショータイム


今回はやたらと動物がよく見えた。
Y友の強運(もしくは野性のさが!)が呼び寄せたに違いない。


たとえば、カバ。
ふだんは、こんな風に『のぞき見』ルックなのだが、











今回は色んなポーズで、サービスタイム(笑












ワニも、ふだんはこんな感じ。
ボートの上から見つけるガイドさんの目にびっくりだ。












今回は恐ろしい口の中をご披露。
食べられてしまいそうなド迫力だった。





翌朝のゲーム・ドライブ(車でサファリ)でも、
陸の動物を満喫したのでした。





サファリルックで決めた、運転手アイバン君。
2日とも“サファリ意識しまくり”のアースカラーのシャツで、可笑しかった。
双眼鏡の先にはお気に入りのカバの群れが――

曰く、「カバのやつってば、こーんな耳してるでしょう?」
耳が小さいのが、たまらなくツボなのだそうだ(笑

2011年5月19日木曜日

キリン三態



食べるきりん、













群れるきりん、


















ハネきりん。







2011年5月16日月曜日

Yの日



記念すべき、日本からのお客さん第1号。
おいでやっす~!




日本→フランクフルト→ヨハネスブルグ(南ア)→エンテベ
…38時間かけてやって来た。


“ウルトラクイズもびっくり”のアフリカ縦断コース!
こんな体力勝負のプランで来るのは
『Y友(=YMCA時代のともだち)』くらいだ。





着いた翌日から、早速サファリへご案内。

キリンの親子連れと私
@ Murchison Falls NP

2011年5月13日金曜日

Xの日

厳戒態勢の中、大統領就任式。その頃、エンテベ国際空港から、野党のリーダーがカンパラへ向け群衆とともに動き出す。選挙後最も緊張が高まった一日だった。自宅アパートの前は、いつも通り封鎖。出勤時間を1時間早めて、何とか封鎖車輌の横をすり抜けて出れたけど。

大統領就任式には各国のVIPが集い、「国際的認知」を明らかにする場でもある。よって、この日を過ぎれば、野党にとっても政権転覆の機会が大きく遠のくものと見られている――まさに今日は選挙後の「Xデー」だった。

まだ死傷者の数は明らかになっていないが、夜になって街は静けさを取り戻している。この日を過ぎれば、と皆念じてきた。明日からは平和なカンパラに戻ってほしい。

2011年5月11日水曜日

百人一首

昨年末の帰国時に買って来た本の一冊に、百人一首がある――ということを昨日本棚を見ていて思い出し、何となくページをめくってみた。結局百首すべてに目を通したのだが、有名な歌数首以外は見事にほとんど忘れていた。ただ、読み下す際にスラスラ読める歌なら2,30はあったかな。音が記憶のどこかに眠っているのだろう。

2011年5月9日月曜日

プレミア

マダム、大事な試合だから必ず観てね――と、熱烈なマンチェスターUファンの運転手アイバン君に何度も念を押されたので、サキイカをつまみながらプレミア観戦中なう。

<5月9日追記>

翌月曜日の朝、今にもスキップしそうな足取りで登場のアイバン君。今日は朝も、昼の外出時も、夜も、ずーーーっとサッカーの話で持ちきりだった(笑 勝てて良かったね!
アイバン君に限らず、プレミアリーグはウガンダ人にめちゃくちゃ人気だ。たいてい、それぞれにお気に入りのチームがあり、試合のある日は衛星放送の入るTVがある飲食店などに人だかりができる。あんなに密集して観戦したら、一歩間違えば喧嘩騒ぎになりかねない――と思うと、とてもそこに混じって観る気にはなれないが、毎試合パブリックビューイングしてるわけだから、何だか楽しげではある。

アイバン君も昨日は近所の飲食店(最前列が定位置だそうな)で観戦したらしい。普段の試合にはそれほど人が集まらない店らしいが、今季の『事実上の王者決定戦』だった昨日は、満席、立ち見の盛況だったそう。

「開始30秒で(マン・Uに)点が入った時は、アイバン君も喜びの雄叫びあげたんでしょう(笑?」

「うん♪でも2,3秒たってからね。」

曰く、昨日は常連客以外にもたくさん人がいて、誰がマン・Uファンで誰がチェルシーなのか、最初は分からなかったのだそう。もし周りをチェルシーファンに囲まれていたら、不用意に喜ぶと物でも投げつけられかねない、と思って、最初のゴールの瞬間は心の中でガッツポーズするだけにしたんだそうだ。

「でも一斉に歓声が沸き起こったので、周りはほとんどマン・Uファンだと気付いて。それで僕も立ち上がって拍手をしました」

――パクチソン選手のファンだというアイバン君。ゲームには勝つは、パク選手は大活躍だわで、何度も何度も「本当に昨日はいい試合だった。嬉しいなあ」と繰り返していた一日でした。

2011年5月8日日曜日

スポーツの秋

土曜の朝、スカッシュに初挑戦。腕にくるかと思いきや、まず悲鳴をあげたのは大腿筋、大殿筋――たった30分でフルフル、ピクピク(汗 さらに30分続けて、呼吸もアップアップに。汗だくになって、クールダウンでプールに入ったら、脚が言うことを聞かず平泳ぎもままならない(笑 運転があるので上がってからビールも飲まず、実に健康的な土曜になった。さ、昼寝昼寝♪

ウガンダは年中「春」か「秋」のような気候なので、スポーツも時期を選ばず楽しめる。

この間、お酒を飲むと眠りが浅い、と書いたが、実はここのところ飲まなくても浅い睡眠が続いていた。体を動かせば眠りも深くなるかと思い、陸でできるスポーツを探していたところ、たまたまスカッシュをするという人を見つけた。その場で伝授して下さいとお願いし、その日のうちに(安物だけど)ラケットとシューズもゲットしたのだった。二つ返事で引き受けてもらえたことに感謝だ。
「スカッシュのいいところは、ひとりで練習できること」とのこと。まさに!――もう少し空振りが減るまで、(誰も後ろを通らない)一番奥のコートを使った方がよさそうだけど(汗 ただ、初心者が見よう見まねでやっても、とりあえずプレーできるってのは手軽、気軽でいいですな。

2011年5月7日土曜日

聞き覚え

就寝直後、ーーッン!というかなり大きな破裂音に、飛び起きた。窓のすぐ外だった。テ、テロ?うちで?なんで?瞬間的に感じた恐怖としてはウガンダに来て以来最大だった。――と、音が空を伝っていくのが聞こえる。…なんだ、雷か。近所のどこかに落ちたのだろう。寝ていて光に気付かなかったのだ。

ちなみに、アパート敷地内あるいは周辺での投石、銃撃、爆発――てな事態は、さすがにそうはあるまいと思っているが、ガラスが割れた時に怪我しないように、念のためベッドは窓際を避けて配置している。雨漏りするかもしれないしね。

2011年5月3日火曜日

権化の最期

ビンラディン、用無しになったのかな。いや殺害されることが最後の「お務め」、か。

歴史で習った限りにおいては、アメリカが唯一の超大国になる過程に「戦争」は不可欠だった。第一次世界大戦でヨーロッパをしのぎ、第二次世界大戦で世界を二分する勢力の一方となり、冷戦の勝利で唯一の超大国になった。
でも、さて、冷戦に勝ったはいいが、次は「誰」と戦うのかしら――と、思っていたら、なんと「テロ」という見えない相手と「戦い」始めた。これは際限のない「戦争」(ごっこ?)を始めたものだと、恐ろしくも半ば厭きれた2001年秋を思い出す。倒すべき相手がそもそも見えないのだから、戦いだっていつまでたっても終わらない。
今やすっかり「テロ」と言う言葉自体が憎悪の対象となりえるわけだが、初期の頃には「誰か」が悪の権化として祭り上げられる必要があった。そこにちょうど居合わせちゃったのが、サダムフセインとか、ビンラディンとか。彼らを擁護するつもりはカケラもないが、彼らを抹殺したからと言って「テロ」はなくならないでしょう?むしろ彼らは人々に「テロ」という見えない「敵」を思い出させるための符合として利用されてきたわけで。
そうすると、なんで(ビンラディン抹殺のタイミングが)「今」なのだろう?という疑問は必然的に湧いてくる。やっぱり…国内支持率なのかなあ?

2011年5月2日月曜日

減(酒)量

最近、お酒を飲んだ後の眠りの「浅さ」が、気になって仕方ない。二日酔いになっているわけではないのに、疲れが全く取れていない状態で翌朝を迎えてしまう。しんどい。やむなく、飲む機会も量も抑え気味の今日この頃。精神的なものなのか、それとも単に歳のせいなのかは分からない。