先日、客人から漫画のデータをもらった。漫画は全く読まないわけではないけれど、最近は暇つぶしに『ゴルゴ13』を眺めるくらいで(それもこっちには持ってきてないし)、これほどまとまった量を読んだのは久しぶりだった。PCで見ると寝っ転がって見れないのが難点かな、腰がね…
音楽とか映像とか。データを突っ込むために外付けHDDを持つようになったのも、そういえば海外で暮らすようになってからだった。帰国時にまとめて調達することが多いが、こうして現地でデータを融通し合う機会も国内にいる時に比べたら断然多い。借り物だと返さなければいけないけれど、貰いっぱなしでいい点が、データの便利なところよね。今更ながら、つくづく。
2011年1月24日月曜日
災難
さらに今回は帰り道で交通事故に3件も遭遇した。巻き込まれたのが自分でなくてよかった、とは思いつつも、さすがに気分が悪い。一応今年『前厄』だが、ウガンダじゃお祓いできないし、だいたいクリスチャンだからそもそも神社の神殿に入ったことがないわけで。塩でも撒いてみようか。
実際は全然違う話をしていますが、この時はまだハエとか火に遭遇する前なので、どこか楽しげに見えますね。
2011年1月18日火曜日
2011年1月16日日曜日
2011年1月14日金曜日
ぴたっ
とうとう蚊帳を吊った。
カンパラは涼しいから蚊もいない――が、セオリーだったのだが
ここ2ヶ月ほど何故か毎晩のようにブ~ンとくるようになった。
眠れなかったので、とうとう観念。
思いつきで設置したので、適当なロープが1本しかなく
片方はベルトで代用、一重結びで止める。
まるでシェルターでも張っているかのよう。
自己満足ロープワーク!
写真だと蚊帳のスペースが狭いように見えるかもしれないが、そもそもベッドがキングサイズなので、実際には手足を伸ばして大の字になってもカバーされるくらいの広さがある。
で、肝心の寝心地だが、横になってしばらくするとブ~~ンというあの羽音。「来たっ!」と思ったが、最初はその蚊が内側にいるのか、外側にいるのか、判然としない。しかし、よくよく羽音を聞いていると、ある時点でぴたっと止まる。それから何度か、ブ~ンぴたっ、ブ~ンぴたっ、の繰り返しがあって、ようやく、ああ、蚊帳に跳ね返されてるんだな(ニヤリ) と確信できた。
虫除けの薬が塗り込んである蚊帳なので、網の目も大きめで風通しは抜群だ(蚊帳は暑い、という理由で使用しない人が結構いる。そうしてマラリアになるんですな)。工夫して張ったハイテクの蚊帳――寝るのが楽しみになるというものです♪
本当は6点で吊る作りなのですが、引っかける場所がなかったこともあり、2点で吊ってみました。ビニシの真ん中をつまんで吊る、あの要領です。蚊帳は軽いので、石とか挟む必要はないけどね。案外見栄えよく張れているでしょう?(←この自己満足感が、ある意味懐かしい)
2011年1月13日木曜日
2011年1月11日火曜日
車窓から
写真に写っているバイクは、すべてタクシー(バイタク)です。
ナイジェリアではオカダ、
フィリピンではハバルハバル、
ウガンダではボダボダ。
呼び名もそれぞれで面白い。
写真は車の助手席から撮ったのだが、ご覧の通り、平気で車の前を横切るし、脇をすり抜ける時こすられたり、叩かれたりするのは当たり前。カンパラのドライバーの“宿敵”と言わざる得ないが、市民の足として欠かせない存在でもある。ただし、ノーヘルでこんな無茶な運転をするため、事故も当然多い。たいてい、足や腕を失くすのは客の方だというから、我々は絶対に乗らない。
2011年1月10日月曜日
初日
実は彼女、運転手のアイバン君の従姉。母方と言うことだが、確かに顔がどことなく似ている。てことは、アイバン君はお母さん似なのね。
前のクリーナーの人もそこまで悪くなかったし、人柄もまずまずだったのだが(…たまに塩とかコショウとか水とか、細々と使われた形跡はあったけどね。『手癖が悪い』という程ではなかった)、コミュニケーションに難があったり、また肝心の掃除が結構手抜きだったりしたので、新しい人を探したんですね。
こういう場合は人づてに紹介してもらうのが一番なので、職場のスタッフなどいくつかあたりを付けて聞いて回ったのだが、なかなかコレと言った人に行き当らず。やむなくアイバン君に頼むことになった。
というのも、本来、ドライバーとクリーナーが親戚、というのはあまりよろしくない。2人が結託したら何でも盗めちゃうからね…それを車で運ばれたりなんかした日にゃあ、こっちはマジですっからかんになってしまうわけで(汗 ただ、まあ、今回は「他に適当な人がいない」+「前の人をいい加減クビにしたい」+「アイバン君の人柄は信用できる」という要素が重なって、とりあえず採用してみることにした。
そもそも、アイバン君自身も、元はと言えば紹介だった。ちょうどドライバーを探している時、レンタカー会社のドライバーに信頼できる人がいたので、(その人自身を引き抜くのはビジネス上さすがにマズイから、かわりに)「兄弟か親戚を紹介して」と頼んだんですね。アイバン君はその人の従弟だった。人柄が良く、真面目な勤務態度であれば、こうしてイモヅル式に働き口が見つかる社会なんですな。
2011年1月8日土曜日
2011年1月5日水曜日
第3集 それはマンハッタンから始まった
以前もちらっと書いたが、この『映像の世紀20世紀』シリーズは、20世紀前半~半ばに時間を割き過ぎたきらいがある(その分、20世紀後半はベトナム戦争あたりで時間切れになっている)。二つの大戦の戦間期も、シリーズ全10回で20世紀を描き切るつもりなら、1回にまとめるべきであった。その場合、この第3集は『第4集 ヒトラーの野望』に吸収されてしまう位置づけだろう――などと勝手に想像したくなるほど、第3集の内容は、放映当初から率直に言って冗長に感じられるものだった。当時からもう何度も繰り返し録画を観ているが、この回は明らかに他の回より鑑賞回数が少ない。
まあ、そんな好き嫌いはさておき、この回を見直そうと思ったきっかけは、最近同僚に回してもらった雑誌に「今こそ1930年代に学ぼう」といった記事が載っていたからだった。1930年代とはもちろん、大恐慌後の世界を指している。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
タイトルの『それはマンハッタンから始まった』の「それ」が指す内容は明示的には示されていない。しかし、番組構成からして、「それ」は、ひとつには第一次大戦後までには明確に形になっていた、アメリカの世界の大国としての繁栄への道であり、一方では大恐慌を境に転げ落ちていく第二次世界大戦への道のことでしょう。その両方が、マンハッタンに象徴されている、というほどの意味でしょうね。
今回、久しぶりに鑑賞してみて印象に残ったのは、実は本編以外の部分だった。本編を見ながら何となく、20世紀最大のCatastropheが始まったのがマンハッタンというけれど、そういえば21世紀の争いも、あの日(9・11)、マンハッタンから始まったんだよなあ――などと考えていた。ちょうどそこへエンドロールが流れ始め、思わず息をのんだ。バックに現代の――といっても放映当時の1995年の――マンハッタンの映像が使われており、ワールドトレードセンターのツインタワーが大写しに…悪夢から覚めたと思ったのに、実はまた(まだ)悪夢の中、といった身震いするようなイヤな感じが――これはもう制作者の意図とは完全に別次元の話ではあるけれど――皮肉なくらい見事に出ていた。
もうひとつ、興味深かったのが、1921年の映像。当時の皇太子(後の昭和天皇)がヨーロッパ5カ国を訪問、とある。なぜ戦争の爪痕深い、明らかに国力の落ちている時期のヨーロッパだったのだろうか。なぜ、当時欧州から完全に覇権が移行していた、太平洋をはさんだ隣国を見に行かなかったのだろうか。訪問先を選んだのは恐らく本人ではないのだろうが、この時もし“大元帥”がマンハッタンをひと目でも見ていたら、果たして…と思うのは私だけではなかろう。ちなみに、昭和天皇の初訪米は1975年のことだったそうな。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
最初に紹介した雑誌は経済誌なのだが、筆者が結局のところ何を「学べ」と言っているのか、正直よく分からなかった。数字の出し入れでものを論ずるのは、相変わらず苦手だ。ただ、1930年代に起きたことを考えると、恐らくは「それらを反例にせよ」との示唆に違いない。極端な保護主義や排他主義は勿論のこと、結果的に大恐慌を乗り越える術が「戦争」であったことまで含めて――ただ一方で、率直なところ、時代が転げ落ちるときは誰にも止められないものだな、という点に当時との類似性を感じてしまうのは、悲しいかな、仕方がないんでしょうね。もっとも、今「転げ落ちて」いると言ったのは、もっぱら我が国のことを念頭に置いてのこと。伸びシロのある国に、そんな暗い雰囲気はない。
話がだいぶ行ったり来たりになった。あまり観ていない回ゆえ、膨らますのに苦労したということでご容赦を。
まあ、そんな好き嫌いはさておき、この回を見直そうと思ったきっかけは、最近同僚に回してもらった雑誌に「今こそ1930年代に学ぼう」といった記事が載っていたからだった。1930年代とはもちろん、大恐慌後の世界を指している。
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タイトルの『それはマンハッタンから始まった』の「それ」が指す内容は明示的には示されていない。しかし、番組構成からして、「それ」は、ひとつには第一次大戦後までには明確に形になっていた、アメリカの世界の大国としての繁栄への道であり、一方では大恐慌を境に転げ落ちていく第二次世界大戦への道のことでしょう。その両方が、マンハッタンに象徴されている、というほどの意味でしょうね。
今回、久しぶりに鑑賞してみて印象に残ったのは、実は本編以外の部分だった。本編を見ながら何となく、20世紀最大のCatastropheが始まったのがマンハッタンというけれど、そういえば21世紀の争いも、あの日(9・11)、マンハッタンから始まったんだよなあ――などと考えていた。ちょうどそこへエンドロールが流れ始め、思わず息をのんだ。バックに現代の――といっても放映当時の1995年の――マンハッタンの映像が使われており、ワールドトレードセンターのツインタワーが大写しに…悪夢から覚めたと思ったのに、実はまた(まだ)悪夢の中、といった身震いするようなイヤな感じが――これはもう制作者の意図とは完全に別次元の話ではあるけれど――皮肉なくらい見事に出ていた。
もうひとつ、興味深かったのが、1921年の映像。当時の皇太子(後の昭和天皇)がヨーロッパ5カ国を訪問、とある。なぜ戦争の爪痕深い、明らかに国力の落ちている時期のヨーロッパだったのだろうか。なぜ、当時欧州から完全に覇権が移行していた、太平洋をはさんだ隣国を見に行かなかったのだろうか。訪問先を選んだのは恐らく本人ではないのだろうが、この時もし“大元帥”がマンハッタンをひと目でも見ていたら、果たして…と思うのは私だけではなかろう。ちなみに、昭和天皇の初訪米は1975年のことだったそうな。
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最初に紹介した雑誌は経済誌なのだが、筆者が結局のところ何を「学べ」と言っているのか、正直よく分からなかった。数字の出し入れでものを論ずるのは、相変わらず苦手だ。ただ、1930年代に起きたことを考えると、恐らくは「それらを反例にせよ」との示唆に違いない。極端な保護主義や排他主義は勿論のこと、結果的に大恐慌を乗り越える術が「戦争」であったことまで含めて――ただ一方で、率直なところ、時代が転げ落ちるときは誰にも止められないものだな、という点に当時との類似性を感じてしまうのは、悲しいかな、仕方がないんでしょうね。もっとも、今「転げ落ちて」いると言ったのは、もっぱら我が国のことを念頭に置いてのこと。伸びシロのある国に、そんな暗い雰囲気はない。
話がだいぶ行ったり来たりになった。あまり観ていない回ゆえ、膨らますのに苦労したということでご容赦を。
2011年1月3日月曜日
元旦
ちょうどいい大きさのミカンがなかなか見つからず、
肝心の餅が「台」にしか見えない。
めでたい感じは出ているのでよしとします。
大晦日の昼から断続的に飲み続け
恒例の「元旦は二日酔い」――
二日間で四つの宴。
最後は我が家でおせちを。
日ごろお世話になっている人たちへ挨拶に行ったり、そこで子どもたちも集まってゲームなんかしていたり。日本にいる時よりも確実に『ザ・正月』と言える時間を過ごす。海外にいると案外よくある現象ではないかと思う。フィリピンにいた頃も、最近はすっかり見なくなった紅白を皆で観たりしたものなあ。
手に入るものでおせちを作ろうと思ったら、意外と熱中してしまった。エビはモンバサから来た冷凍エビ、里芋の代わりはヤム芋で。ゴボウは無いから、大根の皮できんぴらを。お餅や干しシイタケは、この間持って帰って来た。
それなりに手間ヒマかけたので、四つ目の宴が終わると、正月早々「やりきった」感があふれ出た。そんなわけで、二日の今日は寝正月と決め込んでいる。
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