2011年3月29日火曜日

No option

仕事が忙しいサイクルに入った。こんな時だからこそしっかり仕事しなければと強く思う一方で、こんな時に海外で…という意見も少なからず存在するんだろうな、と思う。選択肢はただ一つ、仕事に没頭するだけだ。

2011年3月28日月曜日

主食



道端に転がるウガンダの主食。




食用バナナ『マトケ』。

マッシュポテトみたいにして食べる。味はない。




2011年3月26日土曜日

the other way around


実家向けに食糧を送ろうか、という話をしていた時に
家族からの荷物が届いた。





発送はもちろん地震の前だったが、皮肉なタイミングが恨めしかった。
大事に食べる。




2011年3月25日金曜日

胸騒ぎ

疲れてるのかな。笑うのが面倒くさい一日だった。

2011年3月23日水曜日

進級

明日で、赴任のために日本を発った日からちょうど1年になる。エンテベ到着は翌日だから、明後日から“ウガンダ二年生”だ。今年は、正月も、誕生日も、特に何も思わなかったが、ウガ2年目突入にはちょっと思うところがある。しっかりステップアップしたい。

取り組みたいことがはっきりしている。すぐ近くに見習える人がいる。契約社員の立場でそのような環境にめぐりあえたのは、幸運としか言いようがない。毎日相変わらず腹が立ったり、ムカついたりもしているが、自分がどっち向いて進むのかさえ見失わなければ、必ず「次」へ進めると信じたい。

2011年3月22日火曜日

計画的

節電協力ということで、残業&休日出勤は『禁止』らしい。東京からのメールがめっきり減った。ポジティブにとれば、これはこれで、決められた時間内にアウトプットを出すためのいいトレーニングかもしれない。プレッシャーが違うもの。

私自身、こちら時間の昼前には東京が閉まってしまうので、午前中は鬼の集中力だ。もっとも、海外組はあの電車の大混雑とは無縁だから、ポジティブになれるのかもしれない。

2011年3月20日日曜日

リスク管理

ひとくちに『リスク管理』と言っても、色んな種類があるし、専門家ではなないので精通しているわけでもないが、大きく分けて2つの『リスク管理』が存在しているように見える。ひとつは、最初から最悪を想定して準備する場合。もうひとつは、最悪の場合はさて置き、予想されるリスクはこんなもんでしょう、と見切って準備する場合。

ひとつだけ確かなことは、どんな対策をとるにせよ、『リスク管理』というのは結果が全てだということ。失敗は許されない。だが現実には失敗することがある、その時は――と腹くくってやるのが、リスク管理だ。

どうも、予算に制限があるせいか、あるいは前例を死守し自分の権限以上のことには決して手を出さないという慣習のせいか、お役所というのは圧倒的に後者が多いように見える。「想定外」を連発されたら、聞いている方はだんだん頭にくるかもしれないが、彼らはそういう思考の中でしか仕事をしたことがない。だから、安全が守られなかったら「結果がすべて」の『リスク管理』においても、「想定外」と言えば自身の責任ではなくなる――と、多分本気で思ってる。ように見えてしまう。
元々「官」で実質的なライバルも不在、殿様商売しかしたことがないであろう電力会社が失態を演じている背景には、それなりに理由があってのことと感じざるを得ない。

コントロール

高校生の頃だと思うが、授業で原子力についてのVTRを見せられ、所感を書く機会があった。思春期特有のラディカルさがあり、かつ文系人間だったので、シンプルにこう書いた――人間は愚かだ。コントロールできなくなる可能性のあるものを利用するくらいなら、電気なんて使うのやめたらいいのに――先生の返しのコメントはひと言、『現実的でない』とあった。

自分なりに考えた上で書いたつもりだったので、先生の短いひと言にムッとしたのを覚えている。今なら、電力の25%を担う原子力を真っ向否定することが『現実的でない』ことは実感をもって理解できる。だが、高校生の私が書いたことが正しくなかったかどうかと言えば、それは今でも確信が持てない。本当に間違っていたのだろうか――

10年

二本松の訓練所に、神戸出身の同期がいた。英語のクラスのプレゼンで、震災のことを話してくれた。地面が揺れるのは一瞬のことだが、『被災』と言うのは、その一瞬のことだけを言うのではない。その後の避難生活、仮設住居住まい、復興までのとてつもなく長い長い時間を過ごすことを余儀なくされること、それが『被災』なのだと。最も辛かったのは、希望が持てなかったことだ、とも。

今、『無事カエル』が鎮座する訓練所も、避難所として人を受け入れているとのことだ。まずはお金だが、スコップ1本のボランティアが必要とされるようになったら(――状況を見る限りまだまだ先だと思われる)、迷わず参加したい。できれば1度で満足せず、帰国のたびにできることを見つけられたらと思う。

どさくさ

多くの人が苦しみの中にあるこんな時でも、この状況を利用しようとしているのかな?と目につく動きが結構ある。個々の善悪を論じるつもりはありません。支援にはシンプルに感謝しなければならないと思います。しかし、こんな時だからこそ、海外で心身ともに余裕のある状態にある人間として、あざとい動きには目を光らさなければと思います。

・予算関連法案成立への動き
・大連立の模索
・問責決議や強制起訴の対象者が堂々と闊歩
・基地問題や領土問題でもめてた国からの支援
・相撲再開模索の動き
・社会貢献と銘打ちナイター開催を模索

原発の件に多少の見通しが立ち、少し落ち着いてニュースを見られるようになってきた。

「大連立」の話には心底呆れた。別に前の政権与党のシンパでも何でもないが、断ってくれてよかった。『リベラル』と見られる政権の時ほど実は右に振れやすい、という歴史のジンクス再び、だろうか(このジンクスは日本だけではないけれど)。
20年を超すプロ野球ファンとして、こんな時にナイター開催なんて絶対にやめてもらいたい。経済活動をすべて止めてしまったら打撃に拍車をかける、というのは分かる。だからこそ、放射能が飛んでいるかもしれない空の下でも、みんな粛々とそれぞれの仕事を続けている。お金というのは、節約することが必ずしも経済全体にとってプラスになるとは限らない。だが、電気は今、節約するしか道がない。どんな大義名分があっても、遊興と看做されるものに浪費する余裕はないはずだ。
直接に関連はしないが、世界のニュースで「どさくさ」に便乗したように見えたのが、リビヤの大佐だ。いつの間にか反体制派に徹底反撃していた。昨日あたりから、BBCやCNNのトップが再びリビヤに戻った。

2011年3月18日金曜日

選挙終了

それどころでなくて書いてなかったが:

1、一連の選挙が、すべて平和のうちに終了。
2、火曜の朝、カンパラ震度1ほどの揺れ。
3、季節はすっかり雨季で、かなり涼しい。今日も出張先で土砂降りにあった。

14日(月)に、一度実施しようとして途中でキャンセルになったカンパラ市長選があり、2度目の投票は静かに淡々と行われた。これで先月の大統領選に始まったすべての投票が終了。期間中一度だけ催涙ガスが撒かれる騒ぎはあったが、全体としてはごく平和的な選挙期間だった。

火曜の朝は6時頃のことで、まだベッドの中だった。揺れていることは分かったが、ここのところずっと地震のことを考えているせいで、夢を見ているのか現実なのかが分からなかった。出勤してから、本当に地震があったのだと分かった。揺れで目が覚めたとき、なぜか頭の片隅で『よ、余震がこんなところまで…』と考えたことを覚えている。んなわけないっつーの。

治安リスクが落ち着き、気候も涼しくなって、心なしか道ゆく人々の顔が晴れ晴れしているカンパラです。

現地の人たちからも、ここにいる外国人の人たちからも、次々にお見舞いの言葉をいただく。まだ危機が去っていない中で、謝意を表明するのが精一杯だ。

2011年3月16日水曜日

緊張疲労

震災から5日がたつというのに、日本では当初の緊張が解けない状態がつづいている。ここからニュースを見ているだけで、緊張からくる疲労を感じるくらいだ。被災地の方々はもちろん、東京の家族も、原発周辺住民の方も、支援にあたる方々も、影響を受けるすべての人々が、緊張と疲労の限界に直面しつつあるように思える。

自分の生存が危険にさらされるかもしれないと感じるとき、あるいはリスクをコントロールできていないと感じるとき、こびりつくような、重たい緊張感が、まるで心臓に鉛がまとわりついているかのようになる。自分自身の経験では、これまで身近でテロがあった時などに何度か味わったが、私の場合は、危険にさらされることをある程度承知の上でここにいる。あの日から、突然、その緊張のさなかに置かれることになった家族が心配でならない。大変なのは家族だけではないと分かっていても、頭の中は家族のことでいっぱいいっぱいだ。

2011年3月14日月曜日

無事帰還

仙台で被災した弟が、日曜深夜、東京の実家に帰宅したとのこと。この大混乱の中で、よく帰ってきたと思う。移動を助けてくださった方々のご親切に、心から感謝申し上げます。

明日から関東で計画停電が始まる。今回の地震が次の地震をひき起こす危険性も指摘されている。家族の安全確保のために、引き続き、アフリカから出来ることは全てするつもりだ。また、弟の無事帰宅で家族が直面する最大の懸念がいったんクリアになったので、ここからは被災地のために自分に何が出来るかについても、知恵を絞りたい。

ひとつ明らかになりつつあるのは、時差をいかして情報収集を続けることの有効性だ。日本の家族が寝ている間は、私がTVとネットに張り付く。時差は6時間だから、こちらの深夜0時が日本の朝6時――家族が起きるまでに重要な情報をまとめてメールして(あるいは家族を起こして電話して)、私は寝る。今回の“脱出オペレーション”は、結果論だが幸いにして、これがうまくはまった。勿論、家族がそれを整理して被災地にいる弟に的確に伝え、情報を受け取った弟が冷静に勇気を持って行動したからこそ、24時間体制の情報収集が有効活用されたと言えるのだけれど。
情報収集に欠かせないのが、ネットだ。地上波各局の緊急特番がストリームでLive視聴できるようになっており、非常に助かっている。通常だと、ヤフーなどにあるこの手の映像は、『海外からはご覧いただけません』となっているのだが、緊急時対応で規制を外しているようだ。主要国際ニュースや欧米各局でもほぼ一日中、日本のニュースが伝えられているが、細かい地名や交通状況にまでは言及されない。また、自宅ではNHKワールドが入るが、ずっと同時通訳がかぶせられイマイチ聞き取りにくかった。
日本の番組を、日本語で、ずっと流しっぱなしにできるおかげで、情報取得の即時性は勿論のこと、別の作業を同時に行うこともでき、ネット上の文字情報のみに頼る場合に比べ、格段に効率がよい。この措置、是非しばらくの間継続していただきたい。

2011年3月13日日曜日

無事の次

仙台で被災した弟は、本当なら今日、東京に帰ってくるはずだった。アフリカにいる姉は限りなく無力で何もしてやれないが、何とか彼を東京に連れ帰る方法を全力で考えている。

今日の昼になって、本人からの携帯メールが届いた。送信日時は被災当日の夜――私が異変に気付いた直後に送った短いメール、「地震大丈夫?」に応えたものだった。時刻を見ると、母の元へ無事の一報を入れた直後に送信したようだった。母への連絡は、無料になった公衆電話を使ったとのことだった。

2011年3月12日土曜日

無事でいて

朝、始業直後に仕事で東京に電話したがつながらず、異変に気付いた。ネットと報道でこちらにもショッキングな情報が次々に伝わってきている。言葉もない。

日本への電話回線はパンク状態のようでしばらく誰にもかからなかったが、東京の家族とはメールで連絡が取れた。単身仙台にいる弟の身が案じられたが、幸いにも無事とのこと。神奈川方面へ外出中だった祖母との連絡がまだ取れていない。足腰はしっかりしているとはいえ、高齢の身。無事を信じて連絡を待ちたい。



��追記>祖母とも連絡がついたとのこと。(3月12日朝)


被災されたすべての方にお見舞いの気持ちを表します。

2011年3月11日金曜日

火傷

消えてると思って蚊取り線香つまんだら、まだついてた。先週末くらいから、曇りの日が多い。つまり涼しい。そろそろ雨季かな。

2011年3月10日木曜日

実況中継

このブログにはアクセス解析機能が付いているのだが、地理情報が表示されない。たとえば、私が自宅から閲覧すると「カンパラ、1人」とカウントされる、といった類の機能がない。以前、他所で使用していた解析ツールにはそれがあってなかなか面白かったので、何とかここにも導入できないかと、ここ数日試行錯誤してみた。

そもそもの原理を分かっていないので、何度か試しちゃ消しを繰り返し、さっき導入したものがどうやらしっくりくるようである。情報の集計だけでなく、何とリアルタイムで閲覧者情報を表示をしてくれるという。つまり、今、何人がここを見ていて、その人たちはどこ(国、都市)から見ているのか、が実況中継で分かってしまうということだ。

何か「のぞき」みたい…?いやいや、ここでこうやって公言しているのだから「のぞき」ではあるまい。そもそも、私がこのブログを開く時間は、たいがい日本時間の深夜である。誰も見に来やしないので、何度も自分でクリックして(自分の)閲覧者情報を表示させて遊んでいる(トホホ

ちなみに、このブログ、携帯電話から見てくれている人が、PCから見ている人の8-10倍ほどもいるらしい。ブログっていつの間にかケータイから見るものになってたのだろうか?…そういうもんなん?!

2011年3月9日水曜日

耐性

ここの蚊には蚊取り線香が効かないらしい。今まで行った国ではちゃんと落ちてくれたのに、ここのはずっと飛んでいるのよな…まあ、マラリア持ってなきゃ多少刺されてもいいけどさ。羽の音なんとかしてよね。

2011年3月8日火曜日

懐古・再

カンニング、愉快犯じゃあなかったらしい。愉快犯だったらよかったのに。追いつめられたあのイヤな感じが、久しぶりに思い出された。

��以下、完全に個人的懐古ゆえ面白くありません。あしからず)

人生には成功体験も失敗体験もついて回るし、大人になれば、他人が他人の成功や失敗についていちいちコメントすることもなくなってくると思う――のだが、自分自身の経験では、大学受験だけは例外だった。いい大人たちが好き勝手に、「どうしてあなたは落ちたのか」とか「どうやれば乗り越えられるか」とか、もっと失礼なのだと「あなたには何が欠けているか」とか。聞いてもないのに言ってくる。宗教の勧誘かっての。
“大学受験”というのが多くの人にとって共通体験だからなのかもしれないが、そんなこと言ってくる人に限って自分より勉強をしている(きた)人にはとても見えなかったりしてね。なのに、落ちた分際の自分が口を開けば負け犬の遠吠えになってしまうから、と、侮辱的なコメントに反論もできず黙って受け流すしかなく、随分と屈辱的な思いをしたものだ。恐らく好き勝手言ってる連中にとっては、反論しづらい相手に言いたい放題言って、相手をコントロールするいい機会なのだろう――それはもしかしたら無意識かもしれないけれど。明らかにその手だ、と思われた人たちの顔は今でも嫌悪を持って思い出せる。
思春期のムズカシイお年頃にとって「1年間」というのはやたらと長かった。「勝手なこと言う連中を黙らせる。そのためには受かるしかない」と、置かれた状況がモチベーションになることもあったが、むしろほとんどの時間「もしまた落ちたら、一生この侮辱的なコメントを屈辱的な思いで聞かなければならない…」と怯えていた。思春期は大袈裟だから。びくびくしながら過ごす1年は、どうしようもなく長かった。
今回のカンニングの主に対しここで何らかコメントを書けば、私も「好き勝手言う大人」のひとりになってしまうので何も書かないし、だいたいどんな心境だったかなんて分かりゃしないから想像もしないけれど、できれば今からでも「実はやっぱり愉快犯でした」てな話にならないだろうかね。重すぎるよ。

2011年3月7日月曜日

鳥 その2



こんどは青い鳥がやって来た。





なんかきっと珍しい鳥に違いないと思わせる色だが――




「ギェッ、ギェッ」って
一瞬耳を疑いたくなるカエルみたいな啼き声(笑



2011年3月4日金曜日

誕生日 in カンパラ



友がレストラン厨房に乗り込んでデコレートしてくれたケーキでお祝い。

感謝。





31…アイスクリームのような。








抱えきれないほどのお祝いにびっくり。そして感謝。
��…我ながら嬉しそうな感じがよく出てるので、たまには顔出しで)
そして――運転手アイバン君からのおっきな箱。

渡すと足早に去っていく、いい照れっぷりだった(笑
ありがとう♪

2011年3月3日木曜日

運動会前夜

小さな会議でも、「今後を大きく左右するだろうな」と分かる時がある。明日はそんな会議の日。準備はちゃんとしたから、楽しみ半分、緊張感半分だけど――今晩ちゃんと眠れるだろうか。そんな30歳最後の夜。

そんな時に脱力系運転手・アイバン君からひと言――「マダ~ム、明日は僕からのプレゼント、楽しみにしといてね~♪」…ま、まさかマトケ(食用バナナ)じゃなかろうね!(←前に一度プレゼントされそうになった)

2011年3月2日水曜日

悪趣味

フラッグキャリアのマークが赤い鳥に戻った、とニュースで見た。
あのマーク…飛行機落ちそうでイヤだ。もうなるべく乗りたくない。

2011年3月1日火曜日

駐車場にて









何てことない街中で見る、夕暮の空。