客人から小説の差入れ。そういえば、学生の頃から頼みもしないのに時たま小説を回してもらい、感想文の報告は半ば義務化されていた(笑 あ、でも今回は頼んで持って来てもらったのだった。4冊も有難う。感謝。
では、恒例の勝手な感想を。
最初の2冊は山の小説。『八甲田山死の彷徨』と『凍』である。どちらも極寒の山行きという共通点があるが、準備不足が悲劇を招いた前者と、一流のクライマーが持てるものすべてを総動員してぎりぎり生還できた後者とでは、内容も読後感も対照的だった。
学生の頃、必要に迫られてアウトドアを覚えた。最初はそんなこと予期もしていなかったため、文字通り半ば義務感に駆られながらであったが、いつしかすっかり楽しくなってしまい、自らのめり込んでいった。何がそんなに楽しかったのか?――多分、何もかもが案外理詰めである点が、理屈っぽい自分の性格に合っていたのだろうと思う。アウトドア、というとワイルドでどこか力任せな響きがあるかもしれないが、実際はひとつひとつの所作や道具に理由があり、合理的な世界だった。同時に、合理的でありながら、時としてその努力をあっさり無意味なものにしてしまう自然と対峙する怖さ、面白さ。たまにめぐり合う、ごほうびのような瞬間――そのあたりが、魅力の核心ではないかと思う。
従い、『八甲田山――』の方は、読んでいて途中から腹立たしくなってきた。もとより軍事演習なのだから楽しむのが目的ではない山行きであるが、だったらなおさら、準備不足は許されない。追いつめられると、何かと言えば「そこは精神力で何とか」――と臆面もなく言えてしまうのは、今も昔も日本人の悪い癖だと思う。この場合、精神力が出てきた時点で、問題直視を放棄したも同然だ。高度のリスク管理のプロであるべき軍隊が、と思うとなおさら痛い。
『凍』も、読んでいて決して楽しい本ではないと思った。素人が頭の中で想像するにはあまりに怖い場面が続くからだ。正直、もう一度読み返してみたいとは思わない。ただ、桁違いにエクストリームとはいえ、実在の主人公夫妻のクライミングに対する思いというのは、どこか分かる気がするから不思議だ。そんな気がするような書き方になっている、ともいえるだろうか。もっとも、実在と知って、ネット上で動画なんかも見てみのだが、つくづく、これだけ極限状態の話でありながら、最も印象に残ったのは夫妻のナイスカップルぶりだった。もしかしたらパートナーは死んでしまったかもしれない、と思いながらも、ほぼ同時に、じゃあどこで(死体を置いてくために)ロープを切ろう?と考えられる夫婦――二人して徹底して問題から目を逸らさない。それも淡々と。一緒にいてお互い余計なことを考えないでいい居心地の良さがあるんじゃないかなと想像された。
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『凍』に描かれた、クライマーのクライミングに対する執拗なまでの情念を読んでいて、ふと、先日ノルウェーで出会った冒険家の彼女を思い出した。女史は、シェラーグの絶壁を指さし、30代のうちにフリークライミングで登ってみたいのよね、と言っていた。「まさか」――と半ばあきれる私に、ほら、あの谷(…素人にはただの断崖絶壁にしか見えない)、あそこがシェラーグ登攀の最も簡単なルートよ、とこともなげに言っていた。
そういえば、あの日、カヤックは勿論楽しかったが、嬉しかったことといえば、私が防水カメラを用意したことと、温かい飲み物を携帯用魔法瓶で持参したことを、女史がさかんに褒めてくれたことだった。客商売なのだからリップサービスならいくらでも言えようものを、あえて合理的な工夫を取り上げてくれたところに心つかまれたのだと思う。
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