2011年4月30日土曜日

今日もティアガス

どうにも収まりがつかないようだ。今日も朝から街中で衝突だそうだ。当然のように催涙ガスも撒かれている模様――もはや驚きもしない。今日は(日本の休日にあわせ)仕事も休みなので、おとなしく家にいる。

せっかく選挙が無事に終わったというのに、今月は本当にどうしたというのだろう?権力の側とて、選挙でちゃんと勝ったんだから、平和なデモ隊に暴力的な介入を行うこともないのだ。与党も野党も先の見通しなく無用の暴力騒ぎを続けているようにしか見えない。

2011年4月27日水曜日

夢中

今朝の会議は8時スタートだった。早起きしなければいけない日の前夜は、高い確率で眠りが浅い。そして変な夢を見る。夢の内容にはパターンがあり、たいてい以下の3つのどれかである。

1、次の日の予定(たとえば、会議とか)に遅れる夢。
2、学校(高校と思う)に遅刻しそうになって、ダッシュしようとするのに体が動かない夢。
3、卒業間近(高校または大学)に単位が足りないと気付く夢。

…つまりは、『遅れてはいけない』という強迫観念がそのまま投影されたような、とても分かりやすい夢を見るわけだが、正直どれも後味の悪い夢なので、朝からどっと疲れを感じる。夢って、時々見ている最中に「あ、コレは夢だよね?」と気付く時もあるが、この手の夢の最中に気付けたことがない。文字通り“夢中”になってしまっているのでしょうね。

ちなみに、実際の高校3年間は皆勤(正確には中学3年からの4年間皆勤)だった。が、昔から朝は苦手だったので、夢に出てくるような“ピンチ”は何度もあり、よく市ヶ谷の駅からの坂道を鬼の形相でダッシュしたものです。厳密には、礼拝のチャイムが鳴り始めた瞬間に席についていなければならなかったのだが、『そこを何とか…』と出欠を監視する係の子にネゴったことも数回あったかな。
単位不足の夢は自業自得ですね、学部時代の。夢のバリエーションとして、取得が義務付けられている必須の授業が、午前中のたとえば1限とか2限にあり、どうしても起きられない、というのもある。実際の学生生活では、午前中の授業はほとんど取っていませんでした。起きられないのが分かっていたので。でも、幸い、必須の授業はすべて午後だったと記憶しています。

2011年4月26日火曜日

模様替え


模様替えをした。
ダイニングテーブルはひとり暮らしには大き過ぎる。



思い切って、勉強机に変身してもらった。







ブックエンドのカバ。
並んでる本が若干おっさんくさいけど…(汗





2011年4月25日月曜日

散歩






近所を散歩。アパートを出てすぐの曲がり角。





家の中からは何やら楽器の音が。
優雅な昼下がりだ。



雨季に向かう今頃の季節は、泳ぐには気温が上がりきっていなかったり、風があったりするので、散歩派になりつつある。車のある生活になってから、意識して『今日は健康のために歩く』と決意しないと、なかなか散歩にも出なくなった。下手の横好きで持ち歩いているカメラが多少のモチベーションにはなっているけど…

2011年4月24日日曜日

Just Married!


運転手アイバン君の
お姉さんの結婚披露宴によんでもらった。



二人の名前をプリントしたグラス。
新郎はモスレムで、お姉さんはこの結婚のために改宗だけでなく
「イスラム名」に改名までしたそうな。もとの名前はアンナさんだった。



新郎新婦の入場はステップを踏みながら。

見てたら、入場だけでなく、各テーブルを回る時も
ケーキカットも、引き出物贈呈も、お色直しも…

ひたすらステップ、ステップ、ステップ♪
ウガンダの新郎新婦は体力勝負だと思った。




ナイジェリアでも、フィリピンでも、結婚式にはよく呼んでもらったものだが、ウガンダでは1年以上たった今日が初めてだった。今の暮らしは全然庶民の生活に密着していないからなあ、とあらためて思う(←それが任務ではないためです。念のため)。呼んでくれたアイバン君に感謝。
300人ほどの招待客の中で、ムズング(外国人)は自分だけ。こういう状況、久しぶりでちょっと緊張した。ひとりで“放り込まれる”この感覚――懐かしいけれど、新鮮だった。自分にとっては原点となるような感覚だから、たまにこうやって思い出せるといいのかもしれない。

2011年4月23日土曜日

グッドフライデー

今日から月曜まで、イースターのお休みだ。ここのところ出張が続いていて移動は飽き飽きなので、自宅でゆっくりするつもり――だったのだが、昨夜の大雨でずっと停電のようだ。さっき、アパートの非常用電源ジェネレーターも、壊れたのか燃料が尽きたのかで止まった。水道の出も悪くなってきたし、これは二度寝するしかないかなあ?

2011年4月21日木曜日

リスナー

選挙が終わって出番が減っていたラジオだが、せっかく性能がいいし活用を。最近は専ら『Jazz FM』というチャンネルに合わせている。この局、CMもはさまずに、ずーーーっとJazzを流し続けている不思議なチャンネルだ。たまにジングルが流れるので、かろうじて局名だけは分かったけど、どうやって財源を確保しているのだろう??

ラジオはFM局のみのようで、狭い帯域に数十のチャンネルがひしめき合っている。もしかしたらこのラジオの感度が良すぎるだけかもしれないが、混み合っている周波数だと目盛を数ミリ動かすだけで2,3局引っかかる。
『Jazz FM』も左右をルガンダ語の放送局に挟まれていて、日によって(――風向きによって、なのか、天気によって、なのかは分からないけれど)微調整しないときれいに聞こえない。少しノイズが入るくらいの方がラジオっぽくていい、とも言うのかな。
ラジオを日常的に聞くのは、毎晩ライオンズナイターに耳を傾けていた中学の頃以来だ。

2011年4月19日火曜日

小学校の庭先で






男の子も女の子も、明るいピンクの制服
アフリカならでは、よく似合ってる。




2011年4月18日月曜日

なじみ






ここに来るたびに写真を撮る。

たぶん、この国の忘れられない場所のひとつになると思う。
白ナイルの源流がある辺り、サンセット・ホテル@Jinja




サンセットホテルには、仕事でこの辺りに来るたびに立ち寄っているから、結構なリピーターだ。真ん中くらいのホテルだが、レストランから見えるこの景色が見たくて、飽きずに何度も来てしまう。

2011年4月17日日曜日

発見の日

以前から存在は知っていたが、遠くて行ったことがなかったスーパーマーケットに行ってみた。そしたら出るわ出るわのお宝フード。

・ベトナム製ライスペーパー
・タイ製カップラーメン
・フィリピン製Ligoの缶詰
・タイ製カニ缶
・TWININGSアールグレー
・キッコーマン醤油(大) (たったの1万2千シリング!)

キッコーマンの安さには驚いた。いつも行ってるモールでは卓上用醤油差サイズで2万3千シリング(1,000円)という"高くてビックリ価格"だったから…アジアプロダクツの多さも何だか不思議な感じだった。まさかここでLigoにお目にかかるとはね。しかし、今日一番の発見は、何と言っても――


カ、カンパラに…?
 日 本 食 屋 が あ っ た ……

うそーーっ!!


在留邦人のほとんどが存在すら知らないけれど、
確かに日本食屋と呼んでいいレベルだった。
そしてオーナーはフィリピン人、というオチつき(笑

2011年4月16日土曜日

疾走



ファミマ、アフリカの大地を疾走する。





日本から来たクルマがそのまんま
○○工務店とか、~~青果とか、△△急便のまま走る姿は珍しくない。



2011年4月15日金曜日

衝突

今週はじめから、野党が『徒歩で通勤しようキャンペーン』※を呼びかけていたが、今日とうとう警官隊との衝突に発展したようだ。昼間、カンパラを含むいくつかの都市で発砲、催涙ガス騒ぎになったとのこと。私はたまたま出張でド田舎にいたため、何ともなかった。BBCにちょこっと出ているだけのようだが、念のため。

※表向きは、石油価格高騰に対して無策なままの政府に抗議するため、となっているが、実際は選挙敗北後の巻き返しを狙った組織的デモと見られている。

2011年4月14日木曜日

別添

このブログの"別添"をつくった。写真を置くために、黒い背景、広い幅、にしたくて。まだ1エントリしかないが、ページ右下の方にある「リンク」欄にも置いておく。

2011年4月12日火曜日

横断中



日曜、ゴルフ場のそばを散歩。



地元のおばちゃんらが横切ろうとしてた。
「ちょっと待ってや、プレー中やし。」



みんな「せーの」で行くで?
せーーーのーー



ほら!おばちゃん、早う!
あーもう頭のっけてられへんわ。



2011年4月11日月曜日

体質

四泊五日なら、体力的にきつくても集中力を切らさない自信がある。たぶん、キャンプに行ってた頃にしみついた体質だろう。

先週は、日曜IN→土曜OUTで出張者を受け入れた。月から金は毎日交渉、交渉、交渉。緊張はするし、頭もずっとフル回転でぐったりしたが、交渉の前面に立てるのは面白くもあり、やりがいもある。睡眠時間も削ったが、5日間ちゃんと集中してやれたと思う。何となく、これが5泊6日とか6泊7日だったら、もたなかったんじゃないかな?と直感的に思うところがあり、理由を考えてみた。

2011年4月10日日曜日

無題






アパートの階段から。



土曜の昼下がり、運転手のアイバン君から電話がかかってきた。
もしもしマダーム?元気ー?僕は元気。今日は休んでるの?そう、僕は夕方からサッカー(←プレミアリーグ)観に行くよ。じゃねー。
んー…心配されてるのかな?それにしても一方的な会話だった(笑 今週は分刻みのスケジュールで朝早くから夜遅くまで、まるで『日本人みたいに』仕事した。普段は早起きが大の苦手と知っているアイバン君は、朝7時に出社すると言う私に、ただならぬ忙しさを感じ取ったに違いない。仕事が終わって帰ってくると、毎日「大丈夫?」と聞かれた。いつも温厚で優しいけれど、何か今週は気を遣われている感じがした。

歯ブラシOK?



あのシュールな動物園再訪。サイ、さわり放題。





確かエルマーは、歯ブラシだか歯磨き粉だかをあげたはず。
両方だったかもしれない。

それで角磨くんだよね。








立派な角とは裏腹に、何てやさしそうな目。

2011年4月4日月曜日

feel at home?


ついに発見した。





ウガンダにもOFWはいるんですな。
※OFW=出稼ぎフィリピン人





シニガンとアドボとパンシットと。




食べものはホームシックを呼び起こしやすいので要注意だ。フィリピンにいた頃、母のレシピで鶏の空揚げをつくり、ひと口食べて後悔したことがある。食べた瞬間、孤独感がこみあげてきた。
その点、フィリピン料理なら、懐かしくこそなれ、孤独感に駆られることはあるまい。ちょっと遠いのでそう頻繁には行けないが、仕事がひと段落したらまた行こうかね。

2011年4月1日金曜日

パンを分ける

外務省のHPに、お見舞いや支援を寄せてくれた国が載っている。即座に支援を表明してくれた国々の中には、アフガニスタンや東ティモールも含まれていた。今日現在、サブサハラ・アフリカからは、スーダン、タンザニア、ルワンダ、ガボン、赤道ギニア、ナミビア、ボツワナ、南アフリカが支援してくれたとのことだ。

最後の3つはサブサハラといっても比較的豊かで例外的かもしれないが、開発途上国や紛争を抱える国々が決して余裕があるとはいえない中で支援の手を差し伸べてくれたことは、深く心に留めたい。

昨日も会議席上、お見舞いの言葉を受けた。たまたまそこにいる日本人が自分だけだという理由で、こうしたお見舞いに感謝の言葉を述べる機会が増えている。
直接被災したわけでもなく、国内で放射能の恐怖を味わっているわけでもない、海外からただ傍観しているだけの自分が「日本人として」御礼のコメントをするというのも、どこか違和感のあることだ。ただ、色んな国の人に直接お礼を言えるまたとない機会なので、心をこめ、ちゃんと伝わる話し方をすよう努めている。