2011年12月27日火曜日

『帰国』

ウガンダに戻ってきた。日本滞在中は、いつもの飲み会に加え、京都、サバエ、東北、山に出かけ、色んな人に会い、お世話になった。出発3日前祖父が急逝し、思いがけず、また色んな人に会った。2011年が終わっていく。皆さま、よいお年をお迎えください。

2011年12月12日月曜日

サバエ


寒風吹きすさぶびわ湖、冠雪の比良山系を臨む。




サバエの浜。





冬空。



数えで百になるオバチャンは、想像してたよりずっと、元気やった。

2011年12月6日火曜日

巡り

一時帰国中は温泉とか観光地をめぐりたいものだが、実際めぐらなきゃなんないのは「病院」だったりする。今日も午前、午後と別々のお医者さんへ。日本でしか受診できなさそうなものになると、「医者に行くほどのことでもないかな?」と思える場合でも、つい、『今のうち』『念のため』となる。

長くかかりつけで見てもらっているところに顔を出すと、「で、今はどこいるんだっけ?」「アフリカです」てな会話が挨拶がわりだ。

去年若干しくじってしまった健康診断だが、さきほど知らせがあり、今年は一発OKとなむ。よかった。これで後顧の憂いなくウガンダへ帰れる。

2011年12月2日金曜日

極寒

日中の気温3度って…外出できんやろ、そんなん…

2011年12月1日木曜日

多勢は無勢

大勢いるということは、誰もいないということを意味する場合がある。

たとえば、選挙における『有権者』がそう。
TV局がいう『視聴者』も。
役人がいう『国民』も。

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5コ下のエントリ、写真を少々追加。

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「有権者の声」とか、「有権者の意思」とか。あたかも一個人のような言及のされ方をするけれど、“有権者さん”って人は存在しない。実際は多様で(多様過ぎて)ひとまとめにすることなど不可能な‘集団’を意味する言葉なのだけれど、ひとまとめに出来ないことをいいことに、あたかも一枚岩の「声」とか「意思」を持つ「個人」かのように仕立てあげてしまう――政治家はこの架空の個人に自分の考えや意思を『代弁』させるわけだ。