今年は変化の年でした。前半はウガンダで、短い日本滞在をはさみ、後半は米国で過ごしました。渡米後5か月が経ち、必ずしも馴染んでいるとは言えない中で迎える年末ですが、初心を振り返って今年最後のエントリとしたいと思います。6月16日、ウガンダからの帰路経由地ドーハで(乗継が8時間もありヒマだったため)書いたメモです。(都合により、一部改)
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ウガンダへきた時、アフリカでの初仕事が嬉しかったのと同時に、必ずこれを次へのステップにしたいとの思いがあった。留学は当初から最有力オプションだったと思う。
ローンのオペレーションを前に進めることが自分のミッションで、最初は分からないことだらけでストレスも大きかったが、自分の理解が進むにつれ、理解の度合いにきっちり正比例して仕事の結果が出るのが楽しくもあった。諸般の事情もあり、かなり早い段階で職場内で当該業務に明るい実質唯一の人間になれたことが、結果的に自分の存在価値を明確に感じられる環境や自信、居心地の良さにつながった。ずっと「専門性のなさ」に悩まされてきた中で、専門性があったらどんな風なのかということもはっきりと想像できるようになった。
とは言え、何を専門とすべきかを具体化するのは簡単ではなかったし、それほど楽しい作業でもなかった。職住接近かつ在外の環境で時間はたっぷりとあるにはあったが、仕事後にもう一度緊張状態を作るのは至難の業だった。
ウガンダにくる前に読んだBOPビジネスの本が面白くてぼんやりと民間振興のようなことを考えていたところに、欧州ドナーから「その水力発電所はPPPかIPPか?」と聞かれたことや、ローンのオペレーションに水が合うなと感じていたことなどが重なり、たどり着いた答えがビジネススクールだった。
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赴任して間もなく1年が経とうとしていた時、東日本大震災が起きた。ウガンダの任期は、祖国の国難の時期でもあった。アフリカ市場開拓の先兵となることは必ず国益にもかなうはずと思う一方で、よその国の支援をしている場合ではないと感じるのは自然なことだったし、本邦企業のアフリカ進出のニーズもビックリするほど小さいというのが実感だった。誰もが聞いたことのあるような大手でさえ、他の国の企業なら当たり前に取るリスクをほとんど取ろうとしないのだな、ということを思い知らされたこともあった。
いずれにせよ、将来どこかの時点で日本の復活のために働きたいと思う日がくるのではないかという気がしている。案外と国内にいない人間にも活躍のチャンスはあるんじゃないか、とも。開発途上国というけれど、吸ってる空気はよっぽど明るく希望に満ちており、国づくりの気概というものを肌で感じてきているわけだから、この正のオーラを還元する機会を探っていきたいものである。
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みなさま、よいお年をお迎えください。
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