『映像の世紀20世紀』のシリーズで、どの回が最も印象に残ったかと考えると、なかなかピックアップするのが難しい。しかし、どの回が最も自分自身の研究や進路や将来に影響したかといえば、それは第10集の「民族&難民」の回だったろう。
というのも、戦火に追われ逃げ惑い、時には家族を置いてでも脱出しなければならなかった人々の姿が胸に迫ったという高校生らしいシンプルな義憤も当然あったが、「国境」とか「民族」とか「宗教」といった、明らかに人間がつくりだしたものに過ぎない『くくり』によって容赦なく生と死が分けられていくのが、単純におかしいんじゃないかと思ったのだった。
もちろん、オマケとしては、当時日本人女性が難民高等弁務官であったことも、漠然とした国際的な舞台への憧れとあわせて、『難民』への関心を後押ししたことは認めるところであるが、彼女が高等弁務官としてどのような実績と評価を残していたのかを知るのは、のちに本格的に難民問題の研究をするようになってからであった。ともあれ、学部三回生の時"現代史-難民問題-国際機関"という流れで卒論を書こうと思いついたのは、早い段階からUNHCRという国際機関の存在を知っていたからだといえる。
残念ながら、人がつくった『くくり』が生死を分ける不条理さという核心的な関心について、私の研究はほとんど描き出すことができなかった。というより、そのことを証明するのは途方もなく大変なことだと直感的に感じ、最初から避けて通ることにしたのだった。そういう根本的なところでミソがつくのは自覚しつつも、歴史という畑ではいまだに一国史の研究が中心で、イレギュラーに国境をまたいで動く「難民」というのはなかなか研究対象になってこなかったところに、テーマとして取り組んでみる価値をそれなりに感じたものだった。
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各回の内容についてこまごまと所感を書く予定は今のところないが、今回見直してみてふと思いついたことは書き留めておく。
当初の所感は、旧ユーゴ紛争の民族対立について(あるいは『民族浄化』について)歴史的な背景を含めてよく描いているな、というとこだったのだが。今回ふと、ルワンダについてひと言も触れていないな、と思った。「民族」というくくり、その差異が命をかけて/奪ってまで守るべき程のものなのかという大いなる疑念、そして誰かがそれを煽って利用しているという構図――全体的な“絵”がよく似ており、また時期的にもかぶっていた両者だったが、よく言われるように、世界の耳目を集めたのは旧ユーゴの方だった。(少なくとも日本にいた限りでは、旧ユーゴ「だけ」だった、といっても差し支えのないくらいの報道量の差だったのではなかろうか。)
1996年に放映されたこの作品がルワンダに触れていないということ自体、シリーズ全体を通じてもアフリカ(ブラック・アフリカ)がほとんど出てこないこととあわせ、今となっては貴重な史料だ。
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