番組内のナレーションによれば、このシリーズ放映当時(1995年)は『動く映像』が発明されてちょうど100年目にあたったのだそうだ。その都合上からなのか、あるいは歴史上、通常20世紀という「時代」は第一次世界大戦から始まると見るのがフツーであることを勘案してか――恐らくはその両方だと思う――番組は19世紀末の話から始まり、第一次世界大戦の導火線となったサラエボ事件までを描く。
この回は、まだ19世紀の雰囲気を残した比較的穏やかな10年間ということ、加えてシリーズ初回ということが重なって、どちらかというと『小ネタ』をつなぎ合わせたような構成になっている。人類史上初の上映用映像、とか、『動く』トルストイ、ヴィクトリア女王、ロマノフ王家、とか。孫文やガンジーの話を意図的に出して後に続く回の前振りをしたかと思えば、ゴーリキーのコメントや植民地映像の使われ方を紹介して「映像が果たした役割」に注目したり。
他の各回は歴史的イベントを中心に据えて作られているので、この回がやたらとぶつ切りな印象であることは否めないが、「動く映像」が発明された頃の人々の戸惑いや好奇心はひょっとしたらこんな感じだったのかもしれないとも思ってみる。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
この回の注目映像をひとつ挙げるとすれば、シリーズを通じてほとんど登場しないアフリカの映像が、ほんの数十秒だが出てくる。『コンゴあるいはイギリス領』で、大勢の労働者が――もう「奴隷」ではないはずだが、“奴隷”と聞いて一般に想像するイメージとそう違わない働かせられ方で――鉄道の建設に従事させられている。
今いる国のことだけを考えてみても、主要なインフラ(特にダム、発電所、鉄道)はいまだに植民地時代の遺産に頼っているし、「植民地」支配が一概にネガティブなことばかりではなかったという主張は聞かれて久しい。が、こんな扱いを受けたという記憶は、きっと生き続けるのではないかと思う。
今日「援助は形を変えた植民地侵略だ」という批判があったり、実際「これって“植民”じゃないの?!」と言いたくなるような過激な援助をする国もあったりする中、同時に、そのようなリスクは覚悟の上で、援助する側をうまく『利用』しようとする被援助国側のしたたかさが見られるのも事実だ。こうした「したたかさ」の源泉のひとつに、奴隷同然の扱いを受けたあの頃の記憶もあるのではないかと思う。
アクセス解析によると、最近、「映像の世紀」「映像の世紀 公民権運動」というキーワードで検索し、このブログに来てくれた人がいたようだ。期待に応えられる内容ではなかったと思うが、せっかくだから久しぶりに映像の世紀ネタを書いてみた…んだけど、やっぱり書こうと思って書くと、なかなか言葉が出て来ませんね。
0 件のコメント:
コメントを投稿