ちょっと書いて放り出していたシリーズ、突然気が向き復活。
11世紀から15世紀――と言っても、ほとんど伝承上の話です。
(伝承部分を青字にしたら、真っ青になっちゃった…)
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<Batembuzi(バテンブジ?)とBacwezi(バクウェジ?)>
Kinyoro他いくつかの口承伝承によれば、Bunyoro-Kitaraを最初に支配したのがBatembuzi朝だった。口承伝承では、Batembuzi朝の支配は1100年から1350年頃だったことになっており、実際Ntusiの遺跡からは中央集権的な社会が存在したことを示す物が色々と見つかっている。
Batembuzi朝の起源は伝説や神話でしか残っておらずはっきりとは分かっていないが、口承伝承には10から22の王様が登場することから、数世代にわたって統治を行ったことはほぼ間違いない。王朝の創始者はRuhanga王と言って、『地下の王』だったという――Kinyoroの文化の「地下」は、キリスト教でいう天国のような位置づけである。Batembuzi朝の王たちは皆超自然的な力を持つと考えられた。Batembuziの身体的特徴に関する説明からすると、もとは現在のスーダンやエチオピアの辺りにいたのではないかと思われる。いずれにせよ、彼らはBunyoro-Kitaraのバンツー語圏文化に、習俗、言語ともに同化していくことになった。
Batembuzi朝の最後の支配者とされるのがIsuza王である。Isuza王は『地下の世界』の姫と恋に落ち、姫を追いかけて『地下の世界』まで行ったものの、帰り道が分からなくなってしまったと言われている。数年後、Isuza王の息子IsimbwaがBunyoro-Kitaraを訪ねた。Isuza王なき後、Bunyoro-Kitaraは嫌われ者のBukuku王に支配されていたが、Isimbwaはその王のひとり娘を身ごもらせてしまった。やがてIsimbwaと一人娘の子Ndahuraが生まれたが、かわいそうに、嫌われ者のBukuku王の命令で赤ん坊は生後すぐに川へ投げ入れられてしまう。Bukuku王は、占い師たちが「王の娘の子には気をつけよ」と言ったのを真に受け、娘の子は誰であろうと殺すつもりだったのだ。ところが、赤ん坊は無事だった。へその緒が木に引っ掛かり、通りかかった王家の使用人に保護されたのだった。Ndahuraはそのまま使用人の手で育てられ、やがて成人するとBukuku王をやっつけ自らが王であると宣言した。Ndahuraは祖父のIsuza王によく似ており、人々はこぞって彼を支持した。
こうしてNdahuraはBacwezi朝を開いた。Bacwezi朝も、おそらくエチオピアかスーダンの辺りからの移住者だった(NdahuraとIsuzaが似ていたという話とも符合するか?)。Ndahura王は伝説上の架空の人物ではなく、ほぼ間違いなく歴史上実在した人物だったと考えられており、14世紀後半に権力の座にあったとされる。Ndahura王は超自然的な力を持っただけでなく、ウガンダの地にアンコレ牛とコーヒー栽培をもたらしたとして、今もその功績を称えられている。
Bacwezi朝時代の中心はMubendeおよびNtusi地域だったと考えられる。考古学上の証拠、特にBigo bya MugenyiおよびMunsaの大規模な建造物跡がその根拠だ。見つかった遺跡から、Bacwezi朝は現在のウガンダの大部分――ナイル川の南と西――を支配していたと考えられている。伝承上は、王朝の支配領域はさらに大きかったことになっており、Ndahuraはケニヤ西部、タンザニア北部、ルワンダなどの周辺地域を次々に軍事征服していったと言われている。
Ndahuraはタンザニア北部での戦いで敵に捕らわれてしまう。何とか脱走することは出来たものの、再び王位につくことを拒み、息子のWamalaに王位を譲った。その後、NdahuraはFort Portalの辺りで姿を消した。首都のMubende Hillは第一夫人Nakayimaに譲られた。Nakayima夫人は、後に植民地時代の頃まで残ることになる世襲の女家長制度を築いた。息子Wamalaは2度遷都し、最終的にBigo bya Mugenyiに落ち着いた。
Bacwezi朝の支配はわずか2代しか続かなかったにもかかわらず、今日においても絶大な影響を及ぼしている。それはたとえば、ほとんどの王家がBacwezi朝の直系あるいは傍系の子孫であると主張していることからも分かる。伝承上では、Wamala王は、父Ndahuraと同様に、ただ「消えた」とあるのみである。死んだのではなく「消えた」だけなので、『Bacweziは不滅である』との主張が今もってなされる。実際のところは、15世紀末頃になりLuo族がBunyoro-Kitara地域に進出し王朝滅亡につながったと言われている。真相がどうであれひとつ確かなことは、Bacwezi朝は今日に至るまで土着信仰の崇拝の対象となってきたということで、Mubende Hillの『Nakayima夫人の樹』やNtusi近郊のBigo bya Mugenyuはその典型例である。
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Isuza王と息子のIsimbwaの話は、親子2代にわたっているが、どことなく『浦島太郎』に似ていていないだろうか。『地下の国』が天国相当、というのも面白い。われわれの場合、竜宮城は海底だったが、あれはどことなくサンゴ礁にヒントを得たんじゃないかと思える。これが「地底」となると、やはり「黄泉の国」とか「地獄」のイメージこそあれ「楽園」のイメージは湧いてこない。
ちなみに、部族の「王様」というのは、今でもちゃんと存在している。時にその存在感を発揮し過ぎて政治問題になることもあるくらい、厳然たる影響力を保っている。たとえば、何かインフラをこしらえる時に、登記上は誰の土地でもない所が、実は「王家」の土地で補償問題でもめる、とかね。その起源は15世紀にまで遡るのね。勉強になった。
それにしても長いな…帰国までに全部訳し終わる自信なし!だ。
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