今週末も小説を眺めている。興味のわかない箇所は斜めにも読まないので、「読んで」いると書いたら、若干作者に失礼かな、などと思いつつ。この週末は、木曜に借りてきた『沈まぬ太陽』の1-3巻だった。愉快な内容ではないという程度のことは知っていたが、ここのところ読み飛ばしを頻繁にするせいか、1晩1冊の日もあり、ちょっと長めの小説を選ばざるを得なかったのだ。
以下、いつも通り勝手な所感を。
“アフリカ篇”(1・2巻)と“御巣鷹山篇”(3巻)ということだったが、以前、3巻だけは本屋で立ち読みしたことがあった。ストーリーにはほぼ興味がなかったが、ただ、事故がどう描かれているのかを見たくて手に取ったのだった。この未曽有の事故のボイスレコーダーは後に随分たってから流出しており、今はネット上にもある。数年前、聞いたら飛行機に乗れなくなるかもしれない、と覚悟しつつも、どうしても聞かなければという衝動に駆られたことがあり、以来何回か耳にしてきた。
事実を元にした小説とはいえ、主人公はもちろんのこと、登場人物は皆、名前を変えてあるのに、どうしてか事故の被害者が次々と実名で登場してきて驚いた。公式に発表された事故原因がどうもマユツバであり、飛行機を製造した会社の圧力があったに違いないことにちゃんと触れてあったのは、この事故を描くなら、最低限、抑えてほしいことだから安堵した。でも、豊富な取材を売りにしている作者なのだから、事故機のパイロットの評価の変遷についても触れてほしかった。事故当時は加害者そのものだったが、垂直尾翼の半分と油圧系統の全部を失い、なお30分以上も飛び続けたのは驚異的なことだったというし、後にその教訓が活かされ同様の油圧系統喪失に陥りながら空港に帰還できたケースもあったという(その時は垂直尾翼は無事だった)。この3巻は1999年発表というから、こうした点に触れても良かったのでは、という気がする。
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“アフリカ篇”は、苦笑いの連続だった。ナイロビ、と聞くと、カンパラ在住の我われにとっては、どことなく洗練されたような、地方の人間が都会に憧れるような響きがあるのだけれど。作中では、左遷に左遷を重ねた主人公が、最後に送り込まれる『地の果て』として描かれている(笑
だいたい、カラチ、テヘラン、ナイロビなら、どう見たってナイロビが最も過ごしやすそうなのだけれどね?時代も業界も違うけれど、そこにアフリカに対する一片の先入観もないかと言えば、否定はできないのではないかと思う。もっとも、そう書きながら、私自身、イスラム圏の国へはとても赴任できないと思っているし、実際住んだこともないから、先入観だけで書いていることを認めざる得ないわけだけど。
もうひとつ、これを書いたらこの小説は成り立たなくなるとは思いつつも、何でこの主人公、さっさと会社を辞めないんだろう?と、途中から疑問を通り越して呆れてしまうほど、今の感覚からしたら違和感のあることだと思った。終身雇用も硬直した社会をつくり出すだけなら、歴史上の遺物として淘汰された方がいい。
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