2011年5月3日火曜日

権化の最期

ビンラディン、用無しになったのかな。いや殺害されることが最後の「お務め」、か。

歴史で習った限りにおいては、アメリカが唯一の超大国になる過程に「戦争」は不可欠だった。第一次世界大戦でヨーロッパをしのぎ、第二次世界大戦で世界を二分する勢力の一方となり、冷戦の勝利で唯一の超大国になった。
でも、さて、冷戦に勝ったはいいが、次は「誰」と戦うのかしら――と、思っていたら、なんと「テロ」という見えない相手と「戦い」始めた。これは際限のない「戦争」(ごっこ?)を始めたものだと、恐ろしくも半ば厭きれた2001年秋を思い出す。倒すべき相手がそもそも見えないのだから、戦いだっていつまでたっても終わらない。
今やすっかり「テロ」と言う言葉自体が憎悪の対象となりえるわけだが、初期の頃には「誰か」が悪の権化として祭り上げられる必要があった。そこにちょうど居合わせちゃったのが、サダムフセインとか、ビンラディンとか。彼らを擁護するつもりはカケラもないが、彼らを抹殺したからと言って「テロ」はなくならないでしょう?むしろ彼らは人々に「テロ」という見えない「敵」を思い出させるための符合として利用されてきたわけで。
そうすると、なんで(ビンラディン抹殺のタイミングが)「今」なのだろう?という疑問は必然的に湧いてくる。やっぱり…国内支持率なのかなあ?

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