紀元前から一気に11世紀まで(笑
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<先史時代>
アフリカ大地溝帯および東アフリカ平原が人類進化の発祥地の地であることは広く認識されている。進化の過程は化石からだけでは全容が見えにくいが、DNAと最近発見された二つの「ミッシングリンク」(エチオピア地溝帯で見つかった440万年前の化石と、ケニア北部Turkana Basinで見つかった560万年前のアゴ骨)から推測するに、ヒトがチンパンジーから枝分かれしたのはおよそ500-600万年前であろう。
ウガンダでは、ケニア、エチオピア、タンザニアに比べると化石の出土が少ないが、それは化石が保存されるのに適した条件があまり揃っていないからであろう。モロト地区で出土した1500万年前の半二足歩行原始人Morotopithecusのことを考えれば、ウガンダにおけるヒトの歴史が他の東アフリカとほぼ同様に長いと考えて差し支えないと思われる。
100万年以上前の石器は東アフリカほぼ全域で出土しており、人類最初期のテクノロジーはこの地域から起こった可能性が高い。紀元前8000年頃、この技術はアフリカの他の地域、ヨーロッパ、アジアにも広まり、石斧のような類似した石器が見られるようになった。ウガンダにおける最古の石器時代の遺跡Kigzei河のNsongeziとビクトリア湖Sango湾は150-50万年前のものである。
東アフリカと南アフリカの人々の起源と分類は、文字の記録がないため学術界でも論争の的となっている。ごく大雑把に言うなら、東アフリカ地域には紀元前1000年頃から二度の人口流入があったらしいとされている。いずれも西アフリカからの人口流入であった。
最初の流入は、今日のDRコンゴの辺りからの流入で、3000年前頃に起こった。この時侵入してきた人々の子孫はBambutiとかBatwaとして知らる狩猟民族で、南アフリカのコイサン族やコンゴ国境地帯の熱帯雨林に今でも暮らすピグミーに似た部族と文化的にも身体的特徴も似通っている。ウガンダ東部Mbale近郊に残る岩窟壁画はコイサン族のそれに酷似しており、かつて彼らがウガンダの大部分を支配していたことをうかがわせる。彼らは11世紀初め頃にも東および南アフリカを支配していた。
二度目の流入は、鉄器の技術の広まりと共に起きた紀元前200年頃のもので、ビクトリア湖後背地にまで達した。この地に鉄器の技術を伝えたのはバンツー語族の先祖であると言われ、紀元500年頃までに赤道以南のアフリカに住むようになったという。この頃の政治・社会のあり様はほとんど分かっていないが、タンザニアで植民地時代直前まで見られたntemiのような、ゆるやかなつながりの集団と酋長制度があったと推測していいと思われる。
ウガンダでは、比較的中央集権的な政体が早くから現れた。伝説に登場する最初のBunyoro-Kitra王国がいつ頃のことなのかは、今も分かっていないが、ウガンダ中央部のMubenteやNtusi地域の遺跡からおそらく1500年よりかなり前だったのではないかと思われる。
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ずっと紀元前の話しかと思いきや、最後の2段落でいきなり15世紀くらいまで飛んだ…先史時代から書き起こすなんて、あらためて丁寧だなと思ったが、考えてみればこの辺りというのは『人類発祥の地』と言われているわけで当然の流れなのかな。
ところで、今7ページ前半まできているが、何の気なしに後ろをめくってみたら26ページまで続いてた…こんなに長かったっけ?訳し終わる頃にはもう帰国だったりして。
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