2010年2月1日月曜日

第6集 アジアの独立

ガンジー、孫文、ホーチミン、毛沢東――アジアには他にもたくさんの『独立の英雄』がいるが、おもに取り上げられているのはざっとこんなとこ。

言葉の説得力という意味で圧倒的なのは何と言ってもガンジーだな、と再認識。試しにネットで語録を調べてみたら、びっくりするくらいたくさん出てくる。まだ出典を確認できていないのだが、本編の最初の方に出てくるこの言葉に思わずうなずいてしまった。(訳は番組のママ)


私たちは外国の言葉ではなく私たち自身の言葉で、これから歴史を語らなければいけません。


いわゆる開発途上国で、歴史の研究がまともにされていることなどほとんどないのではないかと思われる。考古学的な方はよくわからないが、それ以降に関して言えば、まずもって、史料が保存されている確率が低いのじゃなかろうかと思うし、実学に比べ歴史学というのは何かと後回しにされるなか、実学でさえ「こんなんでいいのか?」ってな研究が(…それを「研究」と呼ぶなら、の話だけど)多いことを考えれば、歴史学にもほとんど期待できんな、と想像してみるわけで。

確かに、歴史研究って、直接的に国の発展に寄与するとか、研究する側からすればスグに就職口が見つかるとか、そういったメリットとはおよそ縁がない。けれど、かつて歴史学の発展が国民国家の成立と軌を一にしていたことからも分かるように、その国の国民が自分の国の生い立ちを知ることには一定の意味があるし、均一的な支配/統治という点からのメリットもあるはずだ。

個人レベルでいえば、たとえば同じ歴史的事実が、それを見る人の立場が違うと異なって見えるということ、それを知るだけでも歴史を学ぶ意義は大いにあるのではないかと思う。(それが分かるように教えなければ意味がないけれど)こうしたものの見方は為政者や権威に守られた人々にとって脅威でこそあれプラスにはならないし、なかなか奨励されないのは理解できることだが、直線的なものの見方は必ずconflictを生み出す。多面的・多方向からものを考えられる人材が育ってこそはじめて、いわゆるgood governanceなんかも期待できるんじゃあないだろうか。


ガンジーの言葉は、当時のインドがイギリスの植民地として長く支配下に置かれており、イギリス史の一部として語られる存在になっていたことを憂えるものであり、必ずしも歴史学の研究を促すものではないけれど。ただ、この時代に独立を果たした国々が、はたして自らの歴史を持ち得たかと言うと、独立から現在に至るまではまだ記憶の届く範囲かもしれないが、それ以前のこととなると体系的に整理できた例というのはほとんどないのではないかと思う。国の発展というのは、こういうところにまで及んでこそ揺るぎないものになっていくのだと思うのだが。

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