2012年4月8日日曜日

世紀

来週の日曜日はタイタニック号沈没100周年なんだそうで、俄かに関連の特番が増えている。長く人々の記憶にとどまる事件、事故というのは他にいくつもあると思うが、欧米の人たちのタイタニックへの執着というのは、悲しみよりも熱狂に近いように見える、一種不思議な現象だと思う。

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つい数日前、大西洋の水底に眠るタイタニック号がユネスコの文化遺産として登録されたというニュースがあった。曰く、遺品はオークションなどで高値で取引されるため、今でも“遺品荒らし”が絶えず、保護が必要なのだそう。一度に多くの命が奪われた現場に転がっている物に、どうしてそんなにも魅力があるのか。例えば、911のグランドゼロや御巣鷹山で同じ現象が起きるかと言ったら、まずあり得ないことかと思う。日本人的感覚で言えば、慰霊やお祓いの対象にこそなれ、それを金銭取引のネタにするなんて「不謹慎」とか「死者に失礼」といったところだろう。

では、なぜ、沈没船を見つけてガッツポーズする博士がいたり、長年に渡って探索を続ける映画監督がいたりするのだろうか。想像するに、タイタニックは一義的には人々の憧れの対象であり、悲劇はそれを引き立たせるスパイス的な役割を果たしたということではないかと思う(もちろん、1,500名以上の死者が「スパイス」だなんて個人的には理解しかねる感覚だが)。

事故が起きた1912年は、時系列上は20世紀だが、世界大戦が起きる直前であり、歴史上の区切りとしては「19世紀の最後の数年間」に分類すべきタイミングかと思う。まだ貴族が華々しき頃の瀟洒の粋を結集したような豪華客船のつくりが、20世紀生まれの者の目にはリアルな時代絵巻を見るような感覚を与え、同時に(特にヨーロッパ世界にとっては)世界大戦、世界恐慌と「転げ落ちて行く」時代の前の、“古き良き”時代への思慕をもかき立てるのか。

非欧米人の視点からすると、沈みゆく船が欧州没落と重なって見えなくもなく、そういう意味でタイタニック号の事故は時代を象徴するような出来事だったと思えたりするのだが。今日なお続くタイタニック号への執着ぶりを見るにつけ、欧米の人々にとってのタイタニックはどうやら、「夢」とか「憧れ」、「誇り」といったポジティブな感情から来る好奇心を惹き起こす存在のようだ。

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